天皇陵
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詳細は「天皇陵」を参照 (外部リンク)歴代天皇陵一覧、宮内庁皇室典範(昭和22年1月16日法律第3号)第27条により、天皇・皇后・皇太后・太皇太后を葬る所を陵(みささぎ/りょう)、その他の皇太子や親王などの皇族を葬る所を墓(はか/ぼ)と定められている。このほかにニニギノミコトなど三神の陵として神代三陵が宮内庁によって治定されている。天皇陵は時代によって変遷しており、天皇がまだ大王と呼ばれていた時代には巨大な前方後円墳が造営され、その後方墳、円墳、八角墳と変遷した。院政期の白河天皇、鳥羽天皇、近衛天皇にいたって仏式の堂に納骨する方式が現れ、江戸時代の後水尾天皇以降は代々京都泉涌寺に石造塔形式の陵墓が建立された。幕末にいたって尊皇思想が高揚すると天皇陵にも復古調が取り入れられ、孝明天皇陵は大規模な墳丘を持つ形式で築造された。明治天皇以降も大規模な上円下方墳が造営される形式が続いたが、明仁が自らの葬法について火葬を希望すると明らかにした際に、陵の規模を縮小する方針が発表された。
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天皇陵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 22:15 UTC 版)
清閑寺の旧境内である清水山南稜・清閑寺山の中腹に六條天皇清閑寺陵(せいかんじのみささぎ)、高倉天皇後清閑寺陵(のちのせいかんじのみささぎ)がある。両陵の兆域面積は9889.44m²、周囲215間(約390.9m)、手前が高倉天皇後清閑寺陵、後方上段が六條天皇清閑寺陵。両陵共に土塀に囲われて正面に檜皮葺平唐門を有しており、陵内を望む事はできない。兆域は南南西方向に開けた長方形状の谷間に位置するので、拝所も含めて両陵とも南南西を正面としている。また、兆域全体は金網状のフェンスで囲われている。
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