大阪杯から宝塚記念回避まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 08:19 UTC 版)
「オルフェーヴル」の記事における「大阪杯から宝塚記念回避まで」の解説
大阪杯 最後の直線 大阪杯 口取り式 ドバイ国際競走への出走も検討されたが、春は国内に専念することとなった。また、前年は長距離の阪神大賞典を走って「リズムを崩してしまった」ことから、中距離の産経大阪杯を初戦とした。坂路で行われた追い切りでは、凱旋門賞敗退の原因にもなった斜行癖を矯正するために、1頭でもヨレずに走らせるような工夫が施された。3月31日の同競走では、道中は中団後方を折り合いよく追走、最終コーナーでは外から追い上げる。最後の直線で先頭に立つと池添が手綱を緩める余裕も見せて快勝、単勝1.2倍の圧倒的な支持に応えた。レース後に池添は、「断然人気だったし、オルフェーヴルにとって今年最初のレース。僕自身を含めて当然、結果が求められるし、『ホッとした』のひと言です」とコメントしている。 その後、天皇賞(春)は回避し、宝塚記念から再び凱旋門賞を目指すこととなった。この時期には「フラットワーク」と呼ばれる馬場馬術にも取り組み、騎乗者からの指示に従って折り合いよく走れるように調教された。なお、この時期に主戦の池添は、ロンシャン競馬場での騎乗経験不足を補い凱旋門賞での騎乗をもらうべくフランスへ遠征したが、2013年もフォワ賞と凱旋門賞の2戦でスミヨン騎手が乗ることとなった。 この年の宝塚記念は、オルフェーヴルやジェンティルドンナに加え、前年のクラシック二冠馬・ゴールドシップ、この年の天皇賞(春)で初のGI制覇を成し遂げたフェノーメノらが一堂に会する予定となっており、大きな注目を集めていた。ところがオルフェーヴルは、調整が進められる中、6月13日の追い切り後に運動誘発性肺出血(EIPH)を発症、同レースを回避する事になった。しかし、症状としては軽症であったこと十分な治療が行えたことから、当初の予定通りフランス遠征を行うことが決定した。
※この「大阪杯から宝塚記念回避まで」の解説は、「オルフェーヴル」の解説の一部です。
「大阪杯から宝塚記念回避まで」を含む「オルフェーヴル」の記事については、「オルフェーヴル」の概要を参照ください。
- 大阪杯から宝塚記念回避までのページへのリンク