大銭鋳造への段取とは? わかりやすく解説

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大銭鋳造への段取

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/23 16:10 UTC 版)

宝永通宝」の記事における「大銭鋳造への段取」の解説

京都糸割符年寄り長崎屋忠七菱屋兵衛三郎兵衛清水宗仙ら糸割符仲間鋳銭幕府願い出て稲垣対馬守重富計らいにより、大銭の鋳造請け負うこととなった宝永4年11月19日1707年12月12日)、中根摂津守が西町奉行所にて大銭鋳造の件を京銭座に命ぜられた旨を申し渡し翌年宝永5年2月21日1708年4月11日)から京都七条十文銭鋳造開始した宝永5年正月28日1708年3月20日)付の三ヶ条から成る通用触書江戸より京都到来2月8日1708年3月29日)付で京都町奉行から京都駐在代官小堀仁右衛門他5人の代官に報告され2月10日1708年3月31日)付で公布された。これは「一両=3.9~4貫文より高下なく大銭を差混ぜて通用すべき」との触書であった通用宝永5年4月からとされた。 御触書今度京都銭座にて大銭出来候、世間通用為に候間、諸国何方によらず売買請取方無滞只今迄の新銭に交へ、通用可申候、但大銭一銭は、只今の十銭に当り候事 一 只今迄の新銭、相庭金壱両に銭三貫九百文より四貫文迄の積り定め、夫より高下無之様相守り、大銭を差交へ通用仕事 附大銭当四月より通用可仕候事 一 大銭外にて、似せ拵候者於有之は、可為曲事事 寳永五子年二月十日 銭座では寛永通寳鋳造高の約一割を運上として幕府納めるのが慣行であったが、『京都御役所大概覚書によれば、この大銭鋳造においてはカ年十万貫文鋳造し、うち五万貫文運上すると定められたが、この内47,750貫文上納され、残り250貫文到着前に通用停止となったため上納されなかったという。

※この「大銭鋳造への段取」の解説は、「宝永通宝」の解説の一部です。
「大銭鋳造への段取」を含む「宝永通宝」の記事については、「宝永通宝」の概要を参照ください。

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