大銀杏の倒伏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 07:02 UTC 版)
ウィキニュースに関連記事があります。鶴岡八幡宮の大銀杏倒れる 回復も不可能に 建保7年(1219年)1月27日、源頼家の子で八幡宮の別当を務めていた公暁が階段脇に生えていたこの銀杏の木に隠れて待ち伏せ、この大階段の13段目に降りてきた源実朝を殺害したという伝説があり、隠れ銀杏という別名がある。この伝説が知られるようになったのは江戸時代になってからのことであり、当時の史料にはない話であるうえに当時の樹齢を考えると、人が隠れることのできる太さにはまだ成長していなかったという説もあるため、真偽は不明である。伝説を疑問視する説もあれば、公暁が身を隠したのは先代の樹であり、現在の樹は2代目であるとする説もある。1955年(昭和30年)より神奈川県の天然記念物に指定され、鶴岡八幡宮のシンボルとして親しまれていた。樹齢800年とも1000年余ともいわれていた。 2010年(平成22年)3月10日4時40分頃、強風のために大銀杏は根元から倒れた。倒れた大銀杏は3つに切断され、3月15日、根元から高さ4メートルまでが、7メートル離れた場所に移植された。残る2つは境内に保存された。倒壊から約1か月たち、再生への努力が実を結び、若芽が確認された。 倒れる前の大銀杏(2008年) 倒れた大銀杏 移植後の大銀杏画像左が元地点に残った根から生えた蘖、右が移植された幹。
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