大学退官後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 10:36 UTC 版)
大学を退職したその年8月、ストックホルムでIAU総会があり山本は引き続き黄道光委員会の委員長に留任。9月にはスウェーデン天文史学会名誉会員に推挙された。1940年(昭和15年)10月には実家での天文台建設に着手、11月より天文観測を行いながら建設を行い1942年(昭和17年)5月私設の山本天文台(田上天文台)が竣工した。 戦後政治の世界にも自らの理想実現を求め衆議院選挙・滋賀県知事選挙に立候補するが落選、1948年(昭和23年)8月村議会の要請により上田上村長に無投票当選したが、翌年村議会と対立し辞任した。晩年には地元ボーイスカウトの運営にも携わり、1959年(昭和34年)1月16日滋賀県草津市の長男宅で没した。生涯を通じてプロの天文学者とアマチュア天文家の橋渡しをし、天文学の広範な普及・発展に大きく貢献した。 ドイツの天文学者カール・ラインムートが1942年に発見した小惑星2249 には、軌道計算をした中野主一の提案により「Yamamoto(山本)」と命名されている 。
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