松永藤雄
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松永 藤雄(まつなが ふじお、1911年〈明治44年〉5月12日[1] - 1997年〈平成9年〉10月11日)は、日本の内科医。専門は、消化器病学(特に、大腸疾患)。弘前大学名誉教授。勲二等瑞宝章、従三位[2]。医学博士。
経歴
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群馬県利根郡沼田町(現・沼田市)上久屋町に生まれる[2]。旧制沼田中学校(現・群馬県立沼田高等学校)、第二高等学校を経て東北帝国大学医学部卒業[1][2]。1936年、同医学部内科教室(教授山川章太郎、助教授黒川利雄)に入局。
1942年医学博士[1]。1948年、弘前医科大学教授[1][2](1952年、弘前大学に改称)。1959年から1963年まで同大学附属病院長[1]。1972年から1975年まで同大学医学部長[1]。1975年、同大学退官後、都立駒込病院院長に就任、1984年より同病院名誉院長[1][2]。
1943年11月、黒川利雄と共に南京に赴き約2週間滞在して、 汪兆銘、 陳璧君、 褚民誼、 呂栄寰らを診察した。
日本精神身体医学会総会、日本消化器病学会総会会長などを歴任[2]。日本内科学会、日本消化器病学会、日本大腸肛門病学会、日本心身医学会、日本自律神経学会、日本大腸癌研究会などの名誉会員[2]。1969年より日本学術会議第8期会員(第8部)[1]。東京尚仁会(東北大学医学部第三内科同窓会支部)会長。1976年藍綬褒章、1984年勲二等瑞宝章受章[1]。
1997年(平成9年)没、享年86[2]。
論文
脚注
参考資料
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- 汪兆銘夫妻と黒川先生、松永藤雄、東北大学医学部第三内科尚仁会誌(1965)
- 野火と春風、松永藤雄、私家版(1988)
- 追慕-松永藤雄先生追悼集-、弘前大学医学部第一内科同門会・月水会(1998)
関連項目
固有名詞の分類
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