大学生の決闘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/30 05:51 UTC 版)
詳細は「メンズーア」を参照 決闘が流行した時代の大学生はエリート階級であり、紳士予備軍だった。学問より紳士教育を受けるために大学に入るのが普通だった。大学生が紳士の文化である決闘に染まっていくのは自然なことだったと考えられる。詩人のサミュエル・テイラー・コールリッジはケンブリッジ大学の学生だった1790年に兄に宛てて書いた手紙の中で「ペンブルック・カレッジの学生二人が口論になり、ニュー・マーケットで決闘におよびました。挑戦者の方が死にました。(略)しかし、大学内では決闘した学生は今ではスター的存在になっています」と書いている。 ドイツ、オーストリア、スイス、およびラトビアやフランドル地方の一部ではメンズーア(Mensur)という学生文化が存在する。これは15世紀の終りにスペインでレイピアによる決闘が慣例化したのをドイツの学生達が導入し、当初は通りで学生同士が決闘に到り死者を出すことも珍しくなかった。17世紀頃には審判と医師の立会いによる正式なものへと発展し、スポーツと決闘のいずれでもない特有の文化として定着した。これは底意のない形式的な侮辱により開始され、対戦相手のいずれかが血を見ることによりほぼ円満に終結するといったものであり、在学中に十数回ほど対戦することも珍しくなく、ドイツの伝統的な学士会 (Studentenverbindung) のなかには、メンズーアの対戦経験があることを加盟条件に課すものもある。
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