多数に分裂している共産党
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/23 09:57 UTC 版)
「ネパールの政党」の記事における「多数に分裂している共産党」の解説
ネパール共産党は離合集散を繰り返し、これまでに多数の党派が存在するので、混同しないよう注意が必要である。 ネパール共産党 - 1949年9月結党。1961年3月に、ネパール共産党アマティア派とネパール共産党ラヤマジ派に分裂。 ネパール共産党アマーティヤ派(アマッテャ派) - 1961年3月に分裂した、トゥラシー・ラール・アマーティヤ(トゥルシ・ラル・アマッテャ)率いるグループ。急進的。1994年に、アマーティヤはネパール共産党統一マルクス・レーニン主義派(ネパール統一共産党)に入党。 ネパール共産党ラヤマジ派(ライマジ派) - 1961年3月に分裂した、ケーシャル・ジャンガ・ラヤマジ率いるグループ。親国王的、親ソ的。1985年解散。 ネパール共産党プシュパラール派(プシュパ・ラール派) - 1968年にネパール共産党アマーティヤ派から分裂した、プシュパ・ラール・シュレシュタ率いるグループ。後に、ネパール労働者農民党、ムクティ・モルチャ・サルハが分裂している。ネパール共産党マンモハン派と合流し、ネパール共産党マルクス主義派となる。 ネパール共産党マンモハン派 - 1971年に出獄したマン・モハン・アディカリが結成したグループ。1979年に政党化。ネパール共産党統一会議派を経て、1982年にネパール共産党マンモハン派に改名。インド共産党マルクス主義派と親密。1987年に、ネパール共産党プシュパラール派と合流し、ネパール共産党マルクス主義派を結党。 ネパール共産党マルクス主義派(CPN(M)) - 1987年に、サハーナ・プラダン率いるネパール共産党プシュパラール派とマン・モハン・アディカリ率いるネパール共産党マンモハン派が合流し結党。1991年にネパール共産党マルクス・レーニン主義派と合流し、ネパール共産党統一マルクス・レーニン主義派(通称・ネパール統一共産党)を結党。旧指導部の一部が分裂し、ネパール共産党マルクス主義派を再び結成するが、後にネパール共産党ユナイテッド派と合流し、ネパール共産党ユナイテッド・マルクス主義派となる。 ネパール共産党マルクス・レーニン主義派(CPN(ML)) - 1978年12月26日に、全ネパール革命的調整委員会(マルクス・レーニン主義)(ANCRCC(ML))により結党。1991年に、ネパール共産党マルクス主義派と合流し、ネパール共産党統一マルクス・レーニン主義派(通称・ネパール統一共産党)を結党。1998年3月5日に、統一共産党から分派し、再び結党。2002年2月15日に統一共産党に再合流するが、チャンドラ・プラカシュ・マイナリら合流不参加者により存続。統一左翼戦線参加政党。 ネパール共産党統一マルクス・レーニン主義派(通称・ネパール統一共産党、CPN(UML)) - 1991年に、ネパール共産党マルクス主義派とネパール共産党マルクス・レーニン主義派が合流し結党。1998年にネパール共産党マルクス・レーニン主義派が分派するが、2002年2月15日に再合流。2018年に統一毛沢東主義派と統一しネパール共産党を結成したが、党名の重複を理由に最高裁が2021年3月7日に統一無効を宣言し、統一前の状態に戻っている。 ネパール共産党バルマ派 ネパール共産党マーナンダル派 ネパール共産党ユナイテッド派(CPN(United)) - ネパール共産党ユナイテッド派はネパール共産党マルクス主義派と合流し、ネパール共産党ユナイテッド・マルクス主義派となる。しかし、2007年に一部が分派し、再びネパール共産党ユナイテッド派を結党。 ネパール共産党ユナイテッド・マルクス主義派 (Communist Party of Nepal (United Marxist)) - ネパール共産党マルクス主義派とネパール共産党ユナイテッド派が合流して結党。2007年に一部が分派し、再びネパール共産党ユナイテッド派を結党。統一左翼戦線参加政党。 ネパール共産党第四会議派 - 1971年に出獄したモハン・ビクラム・シンハが、1974年9月に結党。後に分裂し、モハン・ビクラム・シンハがネパール共産党マサル派を結党。1990年11月に、ネパール共産党マシャル派と合流し、ネパール共産党統一センター派を結党。 ネパール共産党マサル派(CPN-Masal) - 1983年11月に、ネパール共産党第四会議派からモハン・ビクラム・シンハのグループが分裂して結党。1985年に、ネパール共産党マシャル派が分裂。2002年に、ネパール共産党統一センター派のニルマル・ラマのグループと合流し、ネパール共産党統一センター・マサル派となる。 ネパール共産党マシャル派(CPN-Mashal) - 1985年に、ネパール共産党マサル派から分裂して結党。1990年11月に、ネパール共産党第四会議派と合流し、ネパール共産党統一センター派(公然組織は統一人民戦線ネパール)を結党。 ネパール共産党統一センター派(エカタ・ケンドラ) - 1990年11月に、ネパール共産党第四会議派とネパール共産党マシャル派が合流し結党。公然組織は、統一人民戦線ネパール。1994年11月に、武装闘争に消極的なニルマル・ラマ率いるグループと武装闘争に積極的なプラチャンダ(プシュパ・カマル・ダハル)率いるグループに分裂。ニルマル・ラマ率いるグループは、2002年にネパール共産党マサル派と合流し、ネパール共産党統一センター・マサル派を結党。プラチャンダ率いるグループは、1995年3月に、ネパール共産党毛沢東主義派(マオイスト)と改名。 ネパール共産党統一センター・マサル派 - 2002年に、ネパール共産党統一センター派(エカタ・ケンドラ)のニルマル・ラマ率いるグループとネパール共産党マサル派が合流し結党。後に3派に分裂。 ネパール共産党毛沢東主義派(マオイスト) - 1995年3月に、ネパール共産党統一センター派(エカタ・ケンドラ)のプラチャンダ(プシュパ・カマル・ダハル)率いるグループが改名。長らく武装闘争を続けた。2018年に統一共産党と統一しネパール共産党を結成したが、党名の重複を理由に最高裁が2021年3月7日に統一無効を宣言し、統一前の状態に戻っている。 ネパール共産党マルクス・レーニン・毛沢東主義派 ネパール共産党マルクス・レーニン・毛沢東主義センター - ネパール共産党マルクス・レーニン・毛沢東主義派とNepal Samyabadi Party (Marksbadi-Leninbadi-Maobadi)が合流して結党。統一左翼戦線参加政党。 ネパール共産党 (2013) (Communist Party of Nepal (2013)) ネパール共産党統一派 (Communist Party of Nepal (Unified)) ネパール共産党マサル派 (2006) (Communist Party of Nepal (Masal) (2006)) ネパール共産党マルクス主義派(2006) (Communist Party of Nepal (Marxist) (2006)) Communist Party of Nepal Marxist−Leninist (Samajbadi) ネパール共産党毛沢東主義派(2012) (Communist Party of Nepal—Maoist) ネパール共産党毛沢東主義派(2014) (Communist Party of Nepal (Maoist)(2014))
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