外観・規模とは? わかりやすく解説

外観・規模

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 09:58 UTC 版)

牽牛子塚古墳」の記事における「外観・規模」の解説

以前より、巨石くりぬいて2つ墓室設けた特異な内部構造知られており、斉明天皇皇極天皇)と娘の間人皇女孝徳天皇皇后)の合葬墓とする説があった。また、1977年昭和52年)から1978年昭和53年)にかけて環境整備事業一環として発掘調査おこなわれており、その際実際測量をもとにした実測図作成され円墳報告されながらも八角墳可能性が高いこともあわせて指摘されていた。 2009年9月より2010年9月にかけて、明日香村教育委員会による学術目的発掘調査おこなわれ2010年平成22年9月9日教育委員会調査成果発表した。 それによれば墳丘地震により崩落していたが、高さ約4.5メートル推定され版築による三段築成の八角墳であることが判明し墳丘の裾(すそ)は平面八角形状に削られており、対辺長さは約22メートルにおよぶことを確認した墳丘周囲では外側八角形にかこむ石敷遺構確認されており、北西の裾からは三辺分の石敷検出している。うち一辺(約9メートル)はほぼ完全なかたちで遺存しており、幅は約1メートルブロック状の切り石が3列にすき間なく敷き詰められていた。石敷遺構そのものも、正八角形になるよう途中で135度の角度屈曲しており、上空から鳥瞰した場合、共通の中心をもち大きさ異なる、墳丘部分3段平地石敷部分3列の相似八角形重なるかたちとなる。石敷外側には、さらに砂利敷き詰められ、その部分含めると全体では32メートルほどの規模になると推定されるまた、三角柱状に削った白色凝灰岩切り石やその破片数百個以上出土しており、調査者は、これらの切り石ピラミッド状に積み上げて墳丘斜面装飾していたとしており、その総数は約7,200個におよぶと推定している。 墳丘一段目一辺12.2メートル対角線33メートル墳丘二段目一辺約7メートル対角線約18.5メートル、高さ4メートルである。

※この「外観・規模」の解説は、「牽牛子塚古墳」の解説の一部です。
「外観・規模」を含む「牽牛子塚古墳」の記事については、「牽牛子塚古墳」の概要を参照ください。

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