外見と習慣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/23 06:17 UTC 版)
「メアリー・ジェーン・ケリー」の記事における「外見と習慣」の解説
ケリーは金髪や赤髪だったと報じられている。しかし、ケリーのニックネームに「ブラック・メアリー」というものがあり、黒めのブルネットだった可能性を示唆している。目の色は青かったと言われている。当時の報道では身長は170センチメートルだったと推定されている。ウォルター・デュー(英語版) (英: Walter Dew) 刑事は自叙伝で、ケリーについては顔だけはよく知っていたと主張しており、ケリーは非常に魅力的で美しく肉付きのいい少女だったと記している。ケリーはいつも綺麗な白いエプロンを身につけていたが、帽子は決して被らなかったとも述べている。ロンドン警視庁のメルヴィル・マクナーテン(英語版) (英: Melville Macnaghten) はケリーとは直接会ったことがなかったが、当時の基準ではかなり魅力的な人物と知られていたと報告している。1888年11月10日のデイリー・テレグラフには、ケリーは背が高く、ほっそりとしていて、色白で、生き生きとした顔色をしており、魅力的な外見をしていたと記されている。一部によると、ケリーは「フェアー・エマ」という名前で知られていたというが、このニックネームが髪や肌の色、美貌などに基づくものだったのかははっきりしていない ("fair"は「美しい」、「色白」、「金髪」などの意味がある)。一部の新聞の報道では、ケリーは生姜色の髪をしていたことから「ジンジャー」とも呼ばれていたという。別の新聞の報道では、ケリーは「メアリー・マッカーシー」という名前で知られていたと報じていたが、こちらは当時の大家の姓と混同された可能性がある。ケリーはより貧しいイーストエンドに移ってから、ステップニーの商業ガス工場の近くに住むモーガンストーン (英: Morganstone) という男と一緒に暮らしたと言われており、その後に石屋の左官のジョー・フレミング (英: Joe Flemming) という人物と一緒に暮らした。 ケリーは酔っ払うとアイルランドの歌を歌う習慣があったという。酔っ払っているときはしばしば喧嘩っ早くなり、周囲に口汚い言葉を吐きかけることさえあった。このために「ダーク・メアリー」というニックネームがついたという。マッカーシーは、ケリーはしらふのときは非常に静かだが、酒を飲むと喧しくなると述べた。バーネットが最初にケリーに会ったのは1887年4月のことである。翌日に2度目の出会いを果たし、一緒に暮らそうという話になった。1888年前半、2人はスピタルフィールズ(英語版)のドーセット・ストリート(英語版)26番地の裏手にある、ミラーズ・コート13番地の家具付きの一人用の部屋に転居した。広さは3.7平方メートルの一部屋で、ベッド1台、テーブル3脚、椅子1脚が付いていた。暖炉の上には"The Fisherman's Widow"の複写が掛けられていた。ドアの鍵は無くなっていたため、ケリーはドアの近くの破れた窓から手を入れて、外からドアの差し錠を掛けたり外したりしていた。近隣に住むドイツ人のジュリア・ヴェンチャニー (英: Julia Venturney) は、ケリーは酔っ払っていたときにその窓を破損したと主張した。バーネットはビリングスゲート魚市場(英語版)の魚の運搬人の仕事をしていた。しかし、定期雇用を失って市場の運搬人の仕事で金を稼ごうとしていたときに、ケリーは再び売春を始めた。ケリーが別の売春婦 (バーネットは「ジュリア」<英: Julia> という名前だけ知っていた) と一緒に部屋に住もうとして口論になり、10月30日にバーネットはケリーの元を去っていった。それは殺される1週間以上前のことで、その間にもバーネットはケリーの元を訪ね続けていた。
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