変動相場制の開始
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 07:21 UTC 版)
「円相場#円相場の歴史」も参照 ブレトン・ウッズ体制の終了 アメリカのリチャード・ニクソン政権は、USドルが金との兌換を一時停止すると発表した。原因はアメリカの金保有量の減少によるもので、それまでの金とドルにもとづく国際通貨体制の終了をもたらし、ニクソンショックとも呼ばれた。ニクソンショック以降の1970年代前半の為替レートの動向は、次のような時期に分かれる。 (1)第1次フロート制 大統領演説以降の旧レートでの11日間の市場再開をへて、1971年12月18日までの変動相場制。ニクソンショックによってドルの値下がりが予想されたため、ヨーロッパの外国為替市場はいったん閉鎖したのちに変動相場制へ移行する。他方で日本は、市場を閉鎖せずに1ドル=360円のレートでドル買いを続けた。この介入によって、8月15日の発表から8月28日の変動相場制移行までのあいだに、5億5千万ドルの為替差損を出した。銀行や企業に配慮した措置であったが、国庫にとって巨額の為替差損となった。 (2)スミソニアン協定 IMFの10カ国グループであるG10によってスミソニアン協定が結ばれて固定相場制が再開され、為替相場の変動幅が上下25パーセントと取り決められた。ドル切下げと円切上げが決定して、新たに金1オンス=38ドル、1ドル=308円(変動幅±2.25パーセント)の交換レートが定められた。日本は円の切り上げ幅を最小に止めるよう交渉したが、スミソニアン体制下でも固定相場制の維持は不可能となる。 (3)第2次フロート制 固定相場の維持は再び困難となり、1973年(昭和48年)2月12日のドル再切り下げにより、再び変動相場制へ移行した。当時は田中角栄内閣の日本列島改造論にもとづいて公共事業が実施され、土地投機によってマネーサプライが増加していた。加えて石油ショックが起き、国内では狂乱物価とも呼ばれる物価高騰が起きて、1974年の実質GDPは-0.2%となった。高度経済成長時代はこの時期に終了したとされる。
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