均衡理論批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/08 01:00 UTC 版)
新古典派の均衡理論は、基本的に需要供給の理論に基づいている。この理論は、価格を独立変数とする需要関数・供給関数が存在する/構成できることを大前提としている。しかし、これには基本的な問題があると塩沢は指摘する。 需要関数 この関数が存在するためには、消費者は所与の価格体系のもとに自己の効用を最大化できなければならない。それには予算制約下の効用最大化問題を解く必要がある。この問題を商品を単位ごとに購入する整数問題と考えると、効用関数が1次式という簡単な場合でも、計算量の理論にいうナップザック問題となり、多項式時間では解けないと推定されている。近似解はもっとはやく求まり、効用の水準は近似するが、解を構成する商品の組み合わせは解ごとに大きく異なり、近似需要関数は安定しない。 供給関数 この関数が存在するためには、所与の価格のもとに企業が利潤を最大化する生産量が存在しなければならない。これは、裏からいえば、企業はこれ以上売りたくない数量をつねにもっていることを意味する。しかし、アメリカ合衆国での限界主義論争(約1945-53)で明らかになったように、企業は平常状態では収穫一定あるいは収穫逓増のもとに操業している。このようなとき、企業はよりたくさん売れれば、より利潤が大きくなる。企業が供給関数をもつというのは、企業がもっと売るための営業努力を否定するものである。 以上の批判は、Arrow & Debreu による一般均衡理論に対しても基本的に妥当する。ここでは、企業と消費者は、それぞれ各価格ベクトルに対し、超過需要集合をもち、これが価格に対し上半連続となると仮定される。このような関数の存在をいうために企業は凸閉の生産可能集合をもつと仮定するが、これは(有限の資源の下では)実質的に収穫低減を前提するものにほかならない。
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