土地訴訟の激増
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/13 02:27 UTC 版)
中世社会へ移行する平安時代末から鎌倉時代を通じて、公家の社会の構成単位は、「氏」から「家」への変化が生じつつあった。鎌倉時代前期までは、公家の子弟が分家することによって新たな「家」が生み出されることが行われてきたが、後期に入ると経済的理由などから分割が困難となり、新規「家」への分流も減少、むしろ既存の家領(荘園)の継承を巡って、嫡子と庶子の争いなど各種の訴訟が生じるようになった。 この現象は武士においても概ね共通し、それまで所領を一族へ分割相続していた形態から、惣領から嫡子のみに受け継がれる単独相続への移行が鎌倉後期、14世紀に入ってから本格化した。一般的には西国は伝統的な分割相続が遅くまで残存し、東国では比較的早くから単独相続に移行しつつあったとされ、鎌倉末期から南北朝期はまさに両者が交錯する混乱状態にあったため、所領をめぐる相論は日常化していた。さらに13世紀後半における2度にわたる元寇や、その後の警固役・軍備のための支出による御家人らの窮乏化や社会不安の増大などから、武士や悪党による公家・寺社領荘園の濫妨・押領が相次ぎ、所領を巡るトラブルは全国的に増加していた。
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