土地調査事業の結果
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/10 08:31 UTC 版)
これまでの結負法を使った量田によれば農地面積は239万9842町歩であったのに対し、新しい土地調査によれば434万2091町歩に達した。194万2249町歩(81パーセント)の増加である。それだけ課税対象が増えたことになる。またこの土地調査の結果先祖代々その土地を耕作していた農民の権利は無視して、国家に対して租税を納めながら農民から小作料を徴収する地主の所有権を全面的に認めたことになる。従来農民の小作権は奪うことができないものと考えられてきたのが、本土地調査の結果、地主の自由になるものになってしまった。また、多くの土地が国有地として編入された。代々慣習により耕作してきた多数の農民が証書を持っておらず、証書による裏付けがないとして国有地に編入された。申告されていない土地も国有地に編入された。その結果多くの小作農民が農地を失った。この土地調査事業を端緒として、日本人の土地取得が進んだ。日本人高利貸が苛酷な手段を用い担保権の実行として土地を取得したケースも多かった。日本人地主は、1909年には692人、所有土地総面積は52,436町歩であったのが、1915年には6969人、所有土地総面積は205,538町歩というように、わずか6年で急激に膨れ上がった。このように、耕作者が土地をなくし、地主に土地が集まる大きなきっかけとなるのが土地調査事業であったといえる。この土地調査事業の終わる頃の1916年の戸口調査によると、農民数は929万人であり、総人口1092万人のうちの85パーセントを占めていた。農家戸数は265万戸であるが、内訳は地主が8万戸、自作農52万戸、自小作農104万戸、小作農100万戸となっている。わずか3パーセントの地主の下に、77パーセントの農家がいるという構造になっていたのである。
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