国頭村奥間のVOA発信局
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「VOA通信所」の記事における「国頭村奥間のVOA発信局」の解説
場所: 国頭村赤丸岬、現在の米軍基地保養施設奥間レストセンターの南に隣接し、国頭村字奥間・字鏡地・字桃原にまたがる。 運営用建物 14 住宅 14 アンテナ 22 (中波アンテナ鉄塔6基,短波用ロンビックアンテナ鉄塔16基) 付随の諸施設 1951年、第二次世界大戦後、中華人民共和国の誕生や朝鮮戦争・ベトナム戦争といった極東アジア情勢に対し、アメリカは対共産圏への情報戦略、宣伝工作を目的とした放送施設として V.O.A.の放送中継点を東京から米軍占領下の沖縄に移転させた。その建設に際し、米軍は、沖縄三大美田と称され、水稲の特産地として知られていた奥間平野564千m2を強制接収したが、住民には通信施設のことは知らされていなかった。10月1日に建設に着手。ほかにも恩納村の万座毛や北谷村に関連施設を設置し、1953年の開局から1977年5月15日まで、朝鮮半島や中国全土とベトナムに向け中波1波と短波7 - 9波の放送を続けた。VOAの琉球本部は嘉手納基地内に、また恩納村は受信所、国頭村奥間は発信所だった。当時日本国内における中波の最大出力が100kWであるなか、奥間VOA発信局はその10倍の1MWの出力であったため、近隣で戸外の金属が帯電し、触ると電気ショックを受けたり、敗戦なく電灯がともったり、夜中に消してあったテレビが火を噴く、などの被害があった。 1977年5月、VOA施設のフィリピンへの移転撤去にともない、奥間VOA中継局は土地改良事業が実施された後、リゾートホテル (JALプライベートリゾート・オクマ) や農地宅地として利用されている。 現在、通信局跡地に一部、奥間レストセンターの土地と施設が残っている。
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