国頭村奥間のVOA発信局とは? わかりやすく解説

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国頭村奥間のVOA発信局

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 05:01 UTC 版)

VOA通信所」の記事における「国頭村奥間のVOA発信局」の解説

場所: 国頭村赤丸岬、現在の米軍基地保養施設奥間レストセンターの南に隣接し国頭村奥間字鏡地・字桃原にまたがる。 運営建物 14 住宅 14 アンテナ 22 (中波アンテナ鉄塔6基,短波ロンビックアンテナ鉄塔16基) 付随諸施設 1951年第二次世界大戦後中華人民共和国誕生朝鮮戦争ベトナム戦争といった極東アジア情勢対しアメリカは対共産圏への情報戦略宣伝工作目的とした放送施設として V.O.A.の放送中継点を東京から米軍占領下の沖縄移転させた。その建設際し米軍は、沖縄三大美田称され水稲特産地として知られていた奥間平野564千m2を強制接収したが、住民には通信施設のことは知らされていなかった。10月1日建設着手。ほかにも恩納村万座毛北谷村関連施設設置し1953年開局から1977年5月15日まで、朝鮮半島中国全土ベトナムに向け中波1波と短波7 - 9波の放送続けたVOA琉球本部嘉手納基地内に、また恩納村受信所、国頭村奥間発信所だった。当時日本国内における中波最大出力が100kWであるなか、奥間VOA発信局はその10倍の1MWの出力であったため、近隣戸外金属帯電し、触ると電気ショック受けたり敗戦なく電灯ともったり、夜中消してあったテレビが火を噴く、などの被害があった。 1977年5月VOA施設フィリピンへの移転撤去にともない奥間VOA中継局土地改良事業実施された後、リゾートホテル (JALプライベートリゾート・オクマ) や農地宅地として利用されている。 現在、通信局跡地一部奥間レストセンター土地施設残っている。

※この「国頭村奥間のVOA発信局」の解説は、「VOA通信所」の解説の一部です。
「国頭村奥間のVOA発信局」を含む「VOA通信所」の記事については、「VOA通信所」の概要を参照ください。

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