国字改革
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 06:47 UTC 版)
白鳥は明治31年(1898年)に漢字乱用・学力低下の弊害を訴える『新国字論』を出版して、新しい漢字による日本語改革論を主張した。第二次世界大戦後に文部省が国語審議会を設置して当用漢字を制定したが、読みにくい漢字の制限と一部は略字を用いて平易にすることが目的であったが、その50年以上前に白鳥は同じ主張をしていたのである。 白鳥が創案した新漢字は、試作の域を出なかったものの、文学博士・井上哲次郎や貴族院議長兼帝国教育会会長・近衛篤麿、島田三郎らと議論した。 白鳥の考案した新漢字は、動物は「ケモノ」偏、魚類は「魚」偏、草花は「クサ」冠、樹木は「木」偏、虫は「虫」偏にカタカナを組み合わせ、姓名は姓の旁に「氏」を組み合わせ、名は男なら「人」偏、女なら「女」偏を付けた。新国字は、この新漢字と色の名前や数字・東西南北・数字・前後左右・上下などの従来の「元字」からなる。 白鳥が作った「時事歌」から、日本の将来を憂い、民族の前途を案ずるところから発してこの『新国字論』を作るに至った所以が分かる。 アジアの急務そはなんぞ 簡単平易の文字を採り シシの国へも留学し ワシの里にも貿易し ふるアメリカの厭いなく 星の国にも寄留せよ これぞアジアの急々務
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