商行為に携わることへの批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 05:31 UTC 版)
「プロクラドール」の記事における「商行為に携わることへの批判」の解説
プロクラドールが生糸売買の仲介と斡旋をしていたことから、貿易の利鞘はイエズス会が入手した。生糸売買において、プロクラドールが中心となって値段の決定と配分を行なうことで、イエズス会はパンカド(糸割符)を管理して生糸貿易から恒常的に収入を得られるようになった。イエズス会はアルマサンにも自分たちの生糸の持ち分があり、さらに売れ残り生糸の委託販売や生糸以外の商品の販売仲介などにより、貿易を行なうたびに大きな収入を得ていた。 しかし、プロクラドールが南蛮貿易に関与することに対して、「躓(つまず)きの元」となるとして、イエズス会内外から非難が出るようになった。日本文化への適応主義を取ったヴァリニャーノはこれを必要悪として認めていた一方、「会の活動費は全てポルトガル国王からの支援に頼るべき」と批判するカブラル司祭のような者もおり、天正13年(1585年)にはイエズス会の南蛮貿易への「関与禁止令」が出された(ただし、2年後には再度許可された)。 フランシスコ会士は、イエズス会士による商行為が権力者との間に利害対立を生み、教会へのあらぬ疑惑と不信を呼んで、キリスト教禁教の原因になったと批判した。 修道会倫理に照らせば、貿易への関与は公認の枠を守り、それを実際に行なうのはプロクラドールに限られねばならないが、必ずしもそうではなく、個々の布教施設や会員個人による商行為も見られた。さらに、イエズス会の貿易参入でマカオのポルトガル商人たちとの間に諍いが生じ、訴訟事件にまで発展するようになった。そのような報告を受けたローマ本部は、総会長が日本管区長に指令を出し、それに基づき管区長は1612年に個人的商業を禁じたが、それで活動が治まったわけではなかった。
※この「商行為に携わることへの批判」の解説は、「プロクラドール」の解説の一部です。
「商行為に携わることへの批判」を含む「プロクラドール」の記事については、「プロクラドール」の概要を参照ください。
- 商行為に携わることへの批判のページへのリンク