哲学の専門職化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 15:17 UTC 版)
フッサールとフレーゲは、ともに数学基礎論というきわめて専門的・技術的な議論にかかわりながら、自己の思想を確立していったのであるが、当時は、アインシュタインの相対性理論や量子力学の著しい発達に象徴されるように「科学の世紀」と呼ばれるほど科学の発達した時代であった。ドイツでは、教育と研究の一体化という革命的な発想に従ってベルリン大学が創設されると、イギリス・フランスに近代化の遅れるドイツの産業形成を支え、歴史学、社会学、教育学、民俗学など新たな学問分野が次々と生じ、数学、物理学、化学など既存の学問分野も急速な発展を遂げ、今日の大学の基本的な諸分野がほぼその骨格を現すことになった時代でもあった。教養としての学問から職業としての学問という転換を果たしたドイツの大学は、各国のモデルとなり、各国で専門職としての学者集団が生じたのである。このような当時の背景事情は、哲学にも当然のことながら大きな影響を与え、従来哲学の一分野であった論理学・数学・心理学などなどが独立の学問分野として分離していっただけでなく、歴史学の影響を受けて、厳密な批判を経た資料を用いて研究する哲学史が哲学の主要な一分野とされるようになると、例えば、ヘーゲルのように、一生をかけて自分の哲学体系を一人で完成させるというようなことは不可能か著しく困難になり、多数の学者が共同で、ヘーゲル全集を発行するというように哲学も専門職化していった。また、哲学も当時の科学の発展に伴い、学際的になり、科学哲学など新たな哲学分野の発達などに応じて、その内容も専門的で技術的なものになっていったのである。このような傾向は、特に英米哲学における分析哲学において顕著になり、この傾向を徹底させた理想言語学派を生んだ。
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