和邇一族(わにいちぞく)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/11 15:07 UTC 版)
「銀の海 金の大地」の記事における「和邇一族(わにいちぞく)」の解説
大和の中央豪族。もとは渡来の交易民だったといわれている。東進してきた大王一族の力をいちはやく認め、陰から支えて、大和入りの先導役をした。元々が交易民である和邇一族は、交易によってふんだんな鉄器や武器を持ち、戦のたびに功績をあげて、領土を獲得していった。やがて和邇は、大王のもっとも忠実な『戦の民』となり、大豪族となった。今では「大王を陰で操っているのは和邇」とささやかれるほどの権勢を誇っている。 日子坐(ひこいます) 和邇一族の首長。御真木(みまき)の大王が大和入りした年に生まれた。54歳。戦人とは思えぬ静かな雰囲気をまとい、すらりと背が高い。若い頃はさぞ美しい青年だったであろう、華やぎの残滓を感じさせる容貌をしている。幼い頃から伯父の彦国葺(ひこくにぶく)に連れられて戦場に赴き、軍馬の背を揺りかごに、鬨の声を子守歌にして過ごす。みずからが首長となってからは、大王の名のもとに遠征軍を出しながら、征服した土地に一族の者を根づかせ、和邇の親族を数多くつくりあげていった。また、現在の大王が即位する際に後ろ盾となったため、大王に対する影響力も非常に大きい。友族や和邇一族のひとびとから見れば、武勇と知略を兼ねそなえたすぐれた首長である。若い頃は大変な美男子で、人当たりがよく女性の扱いも上手かったため、数多くの恋人がいた。さらに、様々な部族の姫君に恋を仕掛けて戦や政治に利用した。そのため「御子と奴児だけでひとつの邑ができる」といわれるほど子や孫が多い。一方で、古くから大和に根づく豪族達は、急速に力をつけた和邇一族に反感を持ち、警戒しているため、政敵も多数存在する。佐保の領土を手に入れるため、佐保一族の女首長を2度に渡り陵辱して子を生ませた過去があり、佐保一族からは特に激しく憎まれている。 彦国葺(ひこくにぶく) 和邇一族の祖といわれる人物で、日子坐の伯父。故人。御真木の大王が大和を目指して進軍してきた時代、大王の大和入り助けた。妹の子である日子坐を引き取り、早く戦に慣れさせるために、10歳に満たないうちから、自分の馬に相乗りさせて戦場に連れて行き養育した。
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