和那美の水門
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/11 07:34 UTC 版)
大河津分水や関屋分水によって新潟平野は様変わりしたが、地形から見れば古代の新潟平野は海原であって人の住めるようなところではなかった。伊勢の山辺の大神が鵜を追ってこの地(和那美 = 和南津)の水門で捕え、神宮に献上した神話がある。 遂に高志國に追ひ到りて、和那美の水門に網を張りて、その鳥を取りて持ち上りて獻りき。故、その水門を號けて和那美の水門と謂ふなり。 — 『古事記』、中つ巻 垂仁天皇 3.本牟都和気王 読み:高志(こし)=越、和那美の水門(わなみのみなと)、獻りき(たてまつりき)、號けて(なづけて)=名付けて
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