名称は「柳都大橋」に決定
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「柳都大橋」の記事における「名称は「柳都大橋」に決定」の解説
建設当時、新橋梁の名称は事業名称の「万代橋下流橋」が主に使用されていたが、正式名称は一般公募によって広く募集することになり、行政関係者と新潟市にゆかりのある学識経験者や文化人、市民代表などから組織される「名称選考委員会」が選考を担うことになった。 2000年(平成12年)10月18日に開かれた第1回選考委員会で、一般公募の応募要項と選考基準などが決定、名称募集は新潟国道事務所と新潟県、新潟市の3者主催により実施されることになった。選考基準は「末永く」(時の移り変わりの中で、いつまでも誰からも愛され、親しまれる名称であること)「ゆかり」(市民の願いや橋のゆかり・成り立ち・意義などが込められた名称であること)「調和」(橋のデザインや周辺の地域に調和した名称であること)の3点で、10月20日から約2か月間にわたって応募を受け付けた結果、郵送とインターネットで合計11,934通の応募が寄せられた。 そして2001年(平成13年)1月25日に開かれた第2回選考委員会における審査の結果、名称は「柳都大橋」に決定し、翌1月26日付の新潟日報朝刊紙面などで発表された。かつて新潟市の中心部には堀が巡り、畔にはヤナギが植栽されていた。「柳都」は、水と柳が織りなす街並みを表した新潟市の雅称である。この橋が新潟の更なる発展に尽くすとともに、賑わいのある、水と緑の豊かなまちとして未来へと続くことを祈念して命名された。「柳都大橋」は選考委員の間でも圧倒的に支持され、選考委員の一人で新潟市出身の作家藤沢周は「自分の中でイメージが固まった時に『柳都』という言葉が飛び込んできて、これしかないだろうという感触を受けた」と選評を述べている。この名称で応募した新潟県138人、東京都・三重県各1人の計140人が「名付け親」として認定された。
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