名岐線の開業以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 15:49 UTC 版)
しかし1928年に名岐線(現在の名古屋本線)として枇杷島橋 - 新一宮(後の名鉄一宮)間が開業すると、距離的に短いそちらのルートが本線とされたため、一宮線の岩倉 - 東一宮間は衰退を見せることになった。1935年に名岐間を結ぶ路線が完成し、特急や急行電車が頻発運行されるようになると、いっそうその流れは進んだ。 1941年には柳橋 - 枇杷島橋間が廃止、枇杷島橋 - 岩倉間が犬山線に編入され、一宮線は残部の岩倉 - 東一宮間のみとなった。 もっとも、それでも尾張北部地域における連絡を図る路線として、ある程度の需要は存在したため、長らく一宮線には犬山線からの直通急行・普通電車が設定されるなど、尾張北部を横断する路線として使命を負い続けた。なお、戦時中には資材流用のために不要不急線とされ、一宮線は単線化されている。 戦後、モータリゼーションの発展に伴い、支線のバス化が積極的に推し進められる中、国道22号名岐バイパスの建設に伴い、交差部の高架化か廃線かの判断を迫られ、最終的には一宮線は1965年4月25日をもってバス転換の上で廃止された。 廃止区間のうち岩倉 - 花岡町間は道路(岩倉 - 浅野羽根交差点間は県道浅野羽根岩倉線、浅野羽根交差点 - 花岡町間は一宮市道)に転用され、残区間は民有地となった。県道区間は代替バスルート上であり、羽根、元小山両駅の跡地には同名のバス停留場が設けられている。 県道名古屋江南線(通称名草線)と線路の交差地点に設置された名草線岩倉跨線橋(土盛り、片側1車線ずつ)が一宮線廃線後の2017年まで残り、立体交差として活用されていたが、名草線の拡幅による平面交差化に伴い撤去された。
※この「名岐線の開業以降」の解説は、「名鉄一宮線」の解説の一部です。
「名岐線の開業以降」を含む「名鉄一宮線」の記事については、「名鉄一宮線」の概要を参照ください。
- 名岐線の開業以降のページへのリンク