名古屋国際女子マラソン初優勝・大阪国際女子マラソンで優勝・世界陸上女子マラソンで銀メダル
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2002年3月、初のフルマラソンとなった名古屋国際女子マラソンでは、中盤の25km過ぎで2位の大南博美、3位の田中(現・大島)めぐみらを引き離して独走し、初優勝を飾る。しかし気温が20度近くと高かったため、記録は2時間25分台に留まり、当時渋井陽子の持つ初マラソン世界最高記録(2時間23分11秒)には届かなかった。 翌2003年1月には大阪国際女子マラソンへ2回目のフルマラソンに出走。途中で給水を2回取り損ねる失敗が有りながらも快走し、前年優勝者のローナ・キプラガトらを相手に快速ペースの展開で次々と有力選手を先頭集団から振り落とし、当時日本歴代2位の2時間21分18秒で優勝。2位の千葉真子、3位の坂本直子とともに、上位3人が2時間21分台と国内最高記録をマークした。 同年8月の世界選手権パリ大会では、中盤までハム・ボンシルにピッタリとマークされ、何度も手足がぶつかるアクシデントに見舞われた。レース後半30km過ぎにキャサリン・ヌデレバがスパートすると、野口を含め日本女子選手達は全くついていけず、徐々に引き離された。ゴール直前では野口が少しずつ追い上げたが、19秒差で届かずヌデレバが優勝。しかし野口が日本女子トップの2位に入り銀メダルを獲得したため、翌2004年のアテネ五輪の代表に内定した。千葉は3位に入り銅メダル獲得、坂本は4位入賞。奇しくも同年1月の大阪国際女子マラソンの上位3選手が、そのまま2・3・4位となった。
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