名古屋地域での後遺症
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 15:11 UTC 版)
こうした動きは名古屋財界の顰蹙を買う結果となり、更にはUFJ側が旧東海銀行の取引先であった名古屋を中心とした地元企業、特に中小企業への融資に消極的になり、逆に地元地方銀行や信用金庫などが積極的に取引先の拡大を進めた結果、多くの地元企業が融資元を変更するに至った。これは地元地銀や信金などの地域金融機関とUFJ銀行(現三菱UFJ銀行)の当該地域での融資残高の増減現象を見れば明らかである。また地元の都市銀行が消滅したことにより、地銀や信金を取引金融機関とした企業が国際化の中、海外に進出するのに問題を生ずるようになった。それは、地銀や信金には海外の支店がほとんどなく、海外に進出する場合、当地での金融取引及び情報収集にも窮するようになったからである。この吸収合併が生んだ当該地域での損失といえよう。その後、UFJ銀行は派閥抗争や金融庁特別検査による経営陣退陣など経営面での混乱に加え、金融再生プログラムに基づく巨額の不良債権処理を行った結果巨額の赤字を計上して経営が悪化。最終的に2006年、東京三菱銀行に救済合併される形で発足から僅か4年弱で消滅することとなる。 なお、後々の2006年に東海銀行の系列信販であったセントラルファイナンスが三菱東京UFJ銀行から離脱し三井住友フィナンシャル・グループと三井物産が獲得する“お家騒動”が起きたが(後にセディナとなる)、同社(主に東海銀行出身者)の取引先仲介などから三井住友銀行を名古屋圏へ本格進出させ、営業拠点(店舗)の新設を一挙に拡げた遠因となっている。また、UFJグループの証券子会社再編時に、旧三和系よりも規模が大きかったため東海東京証券は合併対象に含まれず、UFJグループから分離独立し、現在も旧東海銀行系の経営陣の下名古屋地域での営業に力を入れている。
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