同種の混乱の例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/11 11:30 UTC 版)
「京阪100年号事故」の記事における「同種の混乱の例」の解説
事故に先立ち、1972年(昭和47年)10月に汐留駅 - 東横浜駅(桜木町駅付近)間で運行された「鉄道100年記念号」で発生した混乱も踏まえて、国鉄は大都市圏での蒸気機関車の保存運行を断念し、地方路線での恒久的な保存運行へと方針を転じていくこととなった。その結果、1979年(昭和54年)に実現したのが、今日に続く山口線での「SLやまぐち号」保存運行である。 また横浜では1980年(昭和55年)6月13日から15日までの3日間、高島貨物線で「横浜開港120周年号」として、梅小路蒸気機関車館所属のC58 1が運行され、前年に山口線で開始された保存運行(SLやまぐち号)の予備機であったC58 1を、はるばる横浜まで回送して運用した。この際は首都圏での久々の蒸気機関車運行ということで混乱が予想され、多数の警察官が警備して撮影ポイントにはバリケードが張られるという物々しい体制となった。当日は沿線に多数の鉄道ファンや観衆が詰めかけ、中には列車撮影のため線路内に侵入する者もおり混乱したという経験があった。 その後の大都市圏の本線上での蒸気機関車運転としては、1988年(昭和63年)にオリエント急行の車両が日本で運行された際に、D51 498を使用して上野駅 - 大宮駅間を走行した例や、1989年に「SLコニカ号」として運行された際に京葉線蘇我駅 - 新木場間を走行した例、2003年と2014年に上野駅 - 尾久客車区(田端運転所)間を短距離だが走行した例(いずれもD51 498)があるが、あくまでも単発的な運行にとどまっている。
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