吉田君の登場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 03:10 UTC 版)
ビートたけしが、吉田という姓が「牛だ」と似ていると発言した事から、フジテレビ『オレたちひょうきん族』のスタッフを通じて、千葉県東金市の酪農家(ここの飼い主が、吉田君のお父さんとして『ひょうきん族』にも登場した)を介しテレビ出演させた。『ひょうきん族』では、お父さんがギャグとして谷啓の「ガチョーン」を披露した上で常に繰り返すというもので、番組スタッフの一人だった高田文夫によれば、小林信彦から叱責を受けて高田がお父さんに尋ねた所、お父さんが「棒を繰り返し」と誤解していたと判明。 吉田君は2頭いて、最初の吉田君はわずかな出演にとどまったが、2代目吉田君は『ひょうきん族』をはじめ『日刊アルバイトニュース』のCM(斎藤慶子、蟹江敬三らと共演)や、『ドリフ大爆笑』にも出演した。その後吉田君は、吉田君のお父さんの下から湘南動物プロダクション(現:市原ぞうの国、2代目法人とは別会社)に移籍した。 吉田君は、湘南動物プロダクション(初代法人)に所属しながら3頭の子牛を産んでいるが、いずれも雄牛だったため、食肉肥育用に出荷され子孫はできなかった(乳生産を目的で飼うため、乳牛の牡牛は、ほとんどが食肉用に用いられる)。 その後、1990年に23歳で老衰で息を引き取る。この最期を看取った獣医師は「寿命を全うして亡くなる牛を、初めて見た」とコメントしている。さらに死後になって、吉田君の本名はナナだった事が判明している。 また、飼い主の「吉田君のお父さん」こと安川勝司も、2002年4月28日に他界している。 市原ぞうの国の経営者である坂本小百合(映画『星になった少年』のモデルとなった坂本哲夢の母)の話によると、吉田君は1980年代当時自社での稼ぎ頭の動物タレントだったとの事。
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