吉田厳秀流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/02/28 14:56 UTC 版)
前記佐々木義清の弟で、佐々木秀義の六男にあたる厳秀が、近江国犬上郡吉田村に住して吉田氏を称す一族。佐々木義清流の嫡流塩冶氏の塩冶高貞が謀反の嫌疑を受けて自害したあと、出雲は一旦山名氏の領国となり、程なくして近江源氏の京極高氏(佐々木道誉)の領国へ還補せられたため、吉田厳秀の曾孫にあたる吉田秀長(厳覚)を目代として遣わせたため、この一流も出雲国で権勢を誇ったが、近江国が本貫であるため、出雲源氏には含めない。
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