合衆国下院議員とグリネル下院議員に対する襲撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/01 07:22 UTC 版)
「ラベル・ルソー」の記事における「合衆国下院議員とグリネル下院議員に対する襲撃」の解説
ルソーは1864年に「無条件連邦主義者」としてアメリカ合衆国下院議員に選出され、1865年から1866年まで務めた。ルソーは元軍隊の士官として下院軍事問題委員会の委員を務めた。1866年6月、ルソーとアイオワ州選出下院議員ジョサイア・ブッシュネル・グリネルとの間の関係が緊張した。この2人は解放奴隷局により多くの権限を与える法案について一連の論争を行っていた。ルソーは解放奴隷局に働く代理人によって起こされた反抗的かつ無法な行動を予測しまた聞いてもいたのでこの法案に反対し、一方グリネルは元奴隷解放運動家としてまた逃亡奴隷を援助した者として法案を強く支持した。この論争は最終的に中傷合戦に発展し、グリネルはルソーの軍歴を問題にして戦闘におけるルソーの功績を侮辱し、またケンタッキー州について幾つかの差し出がましいコメントまでつけた。 1866年6月14日、ルソーは議会における議事の後で、アメリカ合衆国議会議事堂の東ポルチコでグリネルに近付いた。ルソーはグリネルが議場で行ったルソーに関する侮辱について謝罪の言葉を待っていたとグリネルに告げた。グリネルはルソーが何のことを言っているのか分からない振りをしたので、ルソーを怒らせ、ルソーは持っていたラタン・ヤシの杖の鉄の握りで何度もグリネルを殴りつけ、杖が折れるまで止めなかった。ルソーはグリネルの顔面を主に狙ったが、数回は手や肩に当たった。グリネルは打ち身を受けただけで立ち去り、このために議会を休む必要も全くなかった。しかし、この事件を調査する委員会が組織され、委員にはナサニエル・バンクス、ヘンリー・J・レイモンド、ルーファス・P・スポルディング、M・ラッセル・セイヤーおよびジョン・ホーガンが就いた。ルソーはその行動を譴責され、間もなく議院を辞職した。ルソーは自身の辞職に伴う空席の同じ年に行われた出直し選挙で当選し、1867年まで下院議員を務めた。
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