合衆国内の中国人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/21 09:19 UTC 版)
排斥法のみならずその後も続いた制限により、中国人共同体は萎縮を余儀無くされるが、中国からの移民の制限自体は1943年の同法廃止まで続く。法案可決に際しては公民権侵害に一致団結するも、本国の極貧状態を考えると「よりまし」と考える者も少なく無く、次第に収束を余儀無くされる。1910年から1940年にかけて、サンフランシスコ湾に浮かぶエンジェル島移民事務所は、56113名もの中国人移民のほとんどにとって法手続きの中心地であり、その30%は帰国を促された。同時に延べ175000人もの不法入国者が同島の収容所に収監。 官公庁が倒壊した1906年サンフランシスコ地震以後、中国系アメリカ人との家族的な紐帯を持った(要するに事実上の不法入国を行った)と主張する移民は多い。ただ、これらが本当かどうかを証明することは不可能である。 中国人排斥法は初めて大規模な違法人身売買をもたらしたが、当該行為は他の人種、民族集団にも広まっていった。その後、1924年移民法によりあらゆる階級の中国人移民を排除し、他のアジア系移民集団にも制限が拡大。これらの制限が20世紀半ばまに緩和するまで中国人移民は隔離生活を余儀無くされ、中華街で生き残る道を選ぶ。
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