合衆国北東部
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/15 06:43 UTC 版)
「アルメニア系アメリカ人」の記事における「合衆国北東部」の解説
ニューヨークに最初のアルメニア人がやって来たのは19世紀からのことで、20世紀初頭にはニューヨーク州とマサチューセッツ州はアルメニア移民の主要な目的地となっていた。東20番街からレキシントン街、3番街までの一帯にはアルメニア系人による小さなコミュニティと商店街があり、そこは1960年代までは「リトル・アルメニア」と呼ばれていた。その地は1914年のシンクレア・ルイスのデビュー作『我らがレン氏』(en) においても言及されている。2002年には、アルメニア系人の人口はトライステート地域(英語版)で15万人、クイーンズ区で5万人、マンハッタン区で1万人となっている。 ボストンに最初に辿り着いたアルメニア系人として知られているのは、ハンガリー出身のシュテパーン・ザードリであるが、ボストンには1880年代までアルメニア人コミュニティが築かれることはなかった。しかし、現代ではボストンのアルメニア系人の数は5万人から7万人におよぶと推定されている。2012年5月22日には、アルメニア人虐殺の犠牲者に捧げられたアルメニアン・ヘリテージ・パーク (en) が開園した。また、ウォータータウンにはアルメニア図書館・博物館 (hy) が置かれるなど、ボストンのアルメニア系人の中心地となっており、そこには7000人から8000人のアルメニア系人が住むとも言われる。しかし、2000年の国勢調査での数字は2708人のみである。 その他アルメニア系人の多く住む都市には、ウースター(1306人)、ベルモント(英語版)(1165人)、ウォルサム(1091人)がある。一方でプロビデンスとフィラデルフィアにも19世末や20世紀初頭から続くアルメニア系人のコミュニティが存在し、現代ではフィラデルフィアには約1万500人、プロビデンスには7000人以上のアルメニア系人が住む。
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