合唱に対する批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 04:38 UTC 版)
表現力を育てる教育の一環として、斎藤は合唱に力を入れていた。曲目は、文部省唱歌やわらべ歌もあったが、ハレルヤ、美しく青きドナウ、稜威など西洋の名曲も多かった。彼の合唱指導は、口を大きく開け、からだ全体で息をして発声させるものであった。島小では実際の指導は学級担任に任せたが、境小では定年まで後5年ということで、自ら子どもたちの前に立って指揮をしながら指導した。それは、天地をゆるがすような大音量の合唱であった。筑摩書房の編集者がこの合唱を聴いて感動し、音楽会での録音テープを4枚組のLPレコードに編集して『境小・島小合唱集 風と川と子どもの歌』というタイトルで出版した(70年)。 ところが、これに対して作曲家の中田喜直が1970年11月25日付の読売新聞で「合唱の根本であるハーモニーを忘れた、大部分でたらめのひどいもの。…合唱というよりむしろ雑唱」と厳しく批判した。同紙は斎藤に反論の執筆を打診したが、彼にその気がないということから、島村総合教育に参画して島小をよく知る評論家の丸岡秀子に執筆を依頼した。丸岡の反論は、「立派な健康児の合唱」と題して12月2日付の同紙に載ったが、これを機に、このレコード集のハーモニーの有無を巡って論議が湧き起こった。音楽家の多くはこのレコードに否定的で、音楽教育学者の河口道朗は、『風と川と子どもの歌』のうち難しい楽曲群については「はたして合唱と言えるのか疑いたくなるような聞くに耐えない面がある」と評し、これら小学生には適切ではない楽曲を斎藤らが作ってしまった背景には、彼らの中に西洋の「巨匠」たちの作品を無条件に良いものと見る考え方があったのではないかと指摘しているが、これなどは批判の一例である。 一方、こういう批判に対しては、斎藤が指導した合唱は、野外で歌声を遠くに響かせる民族音楽的な地声合唱であり、これを石の建物の中で賛美歌を響かせることから始まった西洋音楽の頭声発声一辺倒の観点で批判するのは当を得ていない。斎藤は、西洋の児童合唱団のコピーではない「日本の子どもの合唱」をつくったのだという反論がある。
※この「合唱に対する批判」の解説は、「斎藤喜博」の解説の一部です。
「合唱に対する批判」を含む「斎藤喜博」の記事については、「斎藤喜博」の概要を参照ください。
- 合唱に対する批判のページへのリンク