合唱からソリストへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 14:13 UTC 版)
両親の影響で幼いころから音楽、歌が大好きで、ピアノを続けていた。同時に、陸上やバトン部に所属するなど、活発な少女時代を過ごしていた。中学高校でもバトンや陸上を続けたかったそうだが、入学した学校にはバトン部がなかった。学内の様々な部活を見学したところ合唱の魅力にひかれ、入部。ハーモニーの美しさに感動し、合唱に打ち込んだ。中学高校の年月は、現在の音楽活動に大きな影響を与える6年間となる。中学2年生の頃に薬の副作用から体の病気を患って通院。3年間ほど学校に半分ほどしか通えないつらい時期を過ごした。その間にもよき友人や先輩・後輩、先生に恵まれ、音楽部では、中学・高校共に部長を務める。中学3年生のときに合唱で小さなソロを歌い、それがきっかけで高校時代の音楽の恩師から音大の受験を勧められた。自分を助けてくれた音楽に恩返しをしたい、との強い想いから音大受験を決意。高校一年生から声楽の勉強を始めた。小学生の頃からジャーナリストや弁護士として世界の平和のために活動したいという夢を持っていた中村初惠は、ソリストとなってチャリティーコンサートを開き、笑顔いっぱいの社会にしたいとの夢を叶えることを決意した(HP、会報誌「ハーニャチカ」、コンサート内の本人談話など参考)。
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