參河國始犬頭糸語
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三河国は『延喜式』巻二十四 主計寮 上において十二国並上糸に含まれるなど古くから養蚕の盛んな地として知られ、錦・綾・羅などの織物や「犬頭糸」と呼ばれる上質の生糸を調として朝廷に納めていた。『今昔物語集』の「參河國始犬頭糸語」に語られる物語はおおよそ以下のようなものである。 三河国の郡司は2人の妻に養蚕をさせていたが、蚕がみな死んでしまった本妻の元には夫も訪れなくなり、家は貧しくなった。ある日、桑の葉に1匹の蚕がついているのを見つけて飼うことにしたが、飼っていた白犬がそれを食べてしまう。蚕一匹のために犬を打ち殺す訳にもいかないと嘆き悲しんでいると、くしゃみをした白犬の鼻の穴から2本の糸が出てきた。この糸は引いても引いても出続けて、四五千両ばかり巻き取ったところで、糸は巻き尽くされたが犬も倒れて死んでしまった。妻はこれを仏の助けだったに違いないと思い、桑の木の根元に犬を埋葬した。 ある日、たまたま夫が訪ねて来たところ、荒れた家の中には雪の様に白く光り輝く大量の生糸と、それを扱いかねた妻が一人座っていた。話を聞いた郡司は仏の加護がある人を粗末に扱った自分を悔いて、新しい妻の元に通わずに本妻の家に留まったという。犬を埋めた桑の木には沢山の蚕がついて素晴らしい糸が採れた。この話を国司に伝えたところ朝廷にも報告され、この後には「犬頭」という糸を三河国から納めることになり、この糸で天皇の衣服が織られたという。 なお、神社は埋められた犬の頭を勧請して「犬頭神社」と号したといい、村名の千両は献納した犬頭糸二千両に基因するという。また、一説にはこの糸を東上村(現・豊川市東上町)にて籰を繰り、足山田村(現・豊川市足山田町)で機を織って、伊勢神宮に献納したといい、「赤引糸」と呼ばれたこの糸については『令義解』にも言及がある。その糸に千両の価値があるとして村名を千両としたとされ、東上村の氏神を籰繰神社、足山田村の氏神を服織神社と号するという。
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