参議院の発足時の意義付け
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/17 08:24 UTC 版)
「参議院改革論」の記事における「参議院の発足時の意義付け」の解説
第二次世界大戦の終戦後、日本国憲法の制定(手続き上は大日本帝国憲法の全文改訂)がされた際に、GHQから提示された最初の草案(マッカーサー草案)は一院制であった。マッカーサー草案の提示は、1946年2月13日に外務大臣公邸にてGHQ民政局長ホイットニー准将が吉田茂外務大臣、松本烝治憲法改正担当国務大臣と会見した際に行われたが、草案を見た松本国務大臣がその場で、一院制では選挙で多数党が変わる度に前政権が作った法律をすべて変更し政情が安定しないことを指摘し、二院制の検討をホイットニー准将に約束させている。 その後、帝国議会と枢密院での議論のために法制局が作成した想定問答集では、「問 一院制を採らず両院制を採る事由如何」「答 一院制を採るときは、いはゆる政党政治の弊害、即ち多数党の横暴、腐敗、党利党略の貫徹等が絶無であるとは保し難いのであって(以下略)」と「政党政治の弊害」を両院制を採る理由としている。 衆議院の選挙で過半数を占めた政党も、半数ずつ改選される参議院の選挙においても過半数を占めなければ自由に法改正を行うことは出来ない。この制度によれば、一時の民意に基づいた多数党が暴走するのを防ぎ、有権者が政策変更への同意を慎重に行うことができる。この「1回の選挙の結果では大きく法律は変わらない」というシステムは、「保守対革新」といった二極対立の戦後社会において、社会の安定性に一定の寄与をしたという評価もある。[要出典]
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