原「ポー・トースター」
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「ポー・トースター」の記事における「原「ポー・トースター」」の解説
ポー・トースターの訪れは1949年、エドガー・アラン・ポーの死から1世紀後の彼の誕生日から始まった。その年の1月19日の早朝、先端を銀で覆った杖を持った、男性と推測される黒ずくめの人物が、メリーランド州ボルティモアのウェスト・ミンスターホールの墓地に入った。その人物はポーの墓の前まで来るとコニャックで乾杯を行なった。そしてそこから離れる前に、三本の赤い薔薇と、マーテル・コニャックのハーフボトルを墓の前に残していった。 三本の薔薇は、同じ場所に埋葬されているポーとその妻のヴァージニア・クレム、義母のマリア・クレムの3人を表していると考えられているが、コニャックの方は何を意味するのかはっきりしていない(ポーの作品には例えば「アモンティリャドの酒樽」のように酒を題材にした作品はあるが、コニャックが重要な役割を果たすものはない)。しかし後になってポーの墓の前に残されたメモには(後述するように、これはオリジナルの「トースター」の意志を受け継いだ別の人物によるものと考えられている)、家族の伝統を尊重して、今までどおりボトルを置いていくという注意書きが書かれていた 。これらのボトルのいくつかはボルティモアのポー博物館に保存されている。 「トースター」は黒いコートと帽子をつけており、また顔をスカーフやフードで覆っていて、通常は彼の行動を記者やポーのファンたちに見守られていた。2006年に起こった出来事を除けば、観衆は「トースター」の伝統を尊重し、彼の邪魔をしようとしたり、また正体を暴こうと試みたりすることはなかった。なお「ポー・トースター」(Poe Toaster)のニックネームは、「ポエテスター」(Poetaster、「へぼ詩人」の意)と引っ掛けた地口から付けられたものと考えられる。 「トースター」は通常の供え物に加えて折々にメモ書きを残していった。これらのいくつかは「エドガー、君を忘れない」のような、ポーへの傾倒を示す単純なフレーズであった。しかし1993年に残されたメモには、「灯は受け継がれる」(The torch will be passed.)という謎めいた語句が書かれており、「トースター」が病に倒れたか、あるいは死期が近づいているのではないかとの推測がなされた。1999年のメモには、オリジナルの「トースター」が1998年に死去し、彼の伝統を「息子」が受け継いだと記されていた。その後の目撃者は、「トースター」は以前よりも明らかに若くなっていると証言している。
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