南部問題とは? わかりやすく解説

南部問題

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/23 16:59 UTC 版)

ブータンの国民」の記事における「南部問題」の解説

1958年国籍法下敷きにして、1985年公民権法国籍法)が制定されたが、その際定住歴の浅い住民対す国籍付与条件厳しくなり、国籍実質的に剥奪され住民が特に南部在住ネパール住民の間に発生したそもそもブータン政府は彼らを不法滞在者認識しており、これはシッキム王国のような事態避けたい考えていたための措置であったと言われる。 その一方でブータン国家的アイデンティティ模索していた政府は、1989年、「ブータン北部伝統と文化に基づく国家統合政策」を施行しチベット系民族衣装着用強制ネパール住民免除)、ゾンカ語国語化、伝統的礼儀作法(ディクラム・ナムザ)の順守などが実施された。1988年以降ネパールブータン人の多いブータン南部に於いて上記国家統合政策」に反対する大規模なデモ繰り広げられた。この件を政府報告しネパール住民への対応を進言した王立諮問委員会のテクナト・リザル(ネパール系)は、反政府活動関与していると看做され追放されるこの際に、デモ弾圧するためネパールブータン人への取り締まり強化され取り締まり際し拷問など人権侵害行為があったと主張される一方チベット系住民への暴力報告されている。混乱から逃れるため、ネパールブータン人国外脱出ブータン難民発生)が始まった。後に、拷問などの人権侵害減ったとされる国王国外へ脱出行わないように呼びかけ現地訪問したが、難民の数は一向に減らなかった。この一連の事件を「南部問題」と呼ぶ。後に、ネパール政府等の要請によりブータンからの難民問題国連取り扱うに至りブータンネパールを含む難民流出先国、UNHCRにより話し合い続けられている。

※この「南部問題」の解説は、「ブータンの国民」の解説の一部です。
「南部問題」を含む「ブータンの国民」の記事については、「ブータンの国民」の概要を参照ください。

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