南洋開発の支援下で
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 14:22 UTC 版)
「アナタハンの女王事件」の記事における「南洋開発の支援下で」の解説
サイパン島の北方約117キロに位置するアナタハン島は、1945年当時日本の委任統治領北マリアナ諸島に属する島で、東西の長さ約9キロ・幅3.7キロの小島で、最高点は海抜788メートルという、元からの住人がわずか数十人に満たない火山が中心のなだらかな小島であった。 第二次世界大戦末期に、南洋興発社員の妻である「比嘉和子」と、同社員の男性上司の菊一郎(ともに沖縄出身)、爆撃を受け沈没した徴用船3隻の船員(軍属)と乗り組みの海軍兵士、島に居合わせた陸軍兵士ら男31人(日本人で多くが10~20代の若者)が合流し、島に派遣され南洋興発からの物資を受けつつ、昔からの島の住人と自給自足に近い共同生活を送っていた。 1944年6月、日本の「絶対的国防圏」の要衝であったサイパン陥落を目指すアメリカ軍は、アナタハンにも激しい爆撃を加えた。元からの住人はすべてサイパン島に避難したが、日本人は島に残った。当初、菊一郎と和子はそれぞれ妻子と夫が出張で島を離れており、状況判断から2人は「夫婦」として男たちから離れて同居。31人の男たちも船ごとにそれぞれ集団を作って暮らしていた。そのうち全員が1人の女性を巡って争うようになり、1945年8月の終戦までに複数の行方不明者が出た。
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