北東ルーシの諸都市の初出
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「キエフ・ルーシ期の都市」および「ru:Список русских городов дальних и ближних」も参照 モンゴルのルーシ侵攻以前に史料上に言及のある北東ルーシの都市には以下のものがある(特に注釈のない西暦は初出年を示す。なお旧称を用いているものがある)。ただし、初出以前から都市あるいは集落が存在していた可能性、また建設に関しても、先行する都市あるいは集落が存在していた可能性のあるものがある。モスクワ大公国期建設の都市と併せて、これらの中で文化的史跡の多く残る都市は、黄金の環と総称されている。 ロストフ:862年 ベロオゼロ:862年 ムーロム:862年。名称はフィン・ウゴル系部族のムーロマ族に由来する。 スーズダリ:999年 / 1024年 ヤロスラヴリ:1071年。おそらく1010年頃ロストフ公ヤロスラフが建設 ウスチ=シェクスナ:1071年 ムスチスラヴリ:1094年 ペレヤスラヴリ(ペレヤスラヴリ=リャザンスキー):1095年 リャザン:1096年。おそらく1060年頃チェルニゴフ公スヴャトスラフ建設 ウラジーミル(ウラジーミル=ナ=クリャージメ):990年もしくは1108年建設。解釈に諸説あり、現ウラジーミル市は、990年にキエフ大公ウラジーミルが建設し、1108年ペレヤスラヴリ公ウラジーミルが強化したとみなしている。また、1108年をもって建設年とする説もある。 プロンスク:『ニコン年代記(ru)』1131年[リンク切れ]、あるいは他の文献に基づき、1146年(建設は12世紀初頭)、または1186年。 クスニャチン(ru):1134年、ロストフ・スーズダリ公ユーリーが建設(『ニコン年代記』による)。 ドゥブナ:1134年、ロストフ・スーズダリ公ユーリーが建設(『ノヴゴロド年代記』による)。 ヴォロク・ラムスキー:1135年。おそらくノヴゴロドからの入植者が建設。 ヤロポルチ=ザレスキー(ru):1139年 トヴェリ:年代記上は1164年 。ノヴゴロドからの入植者が建設。 名称はトヴェルツァ川にちなみ、そのトヴェルツァ川の由来は、「(流れが)早い」という意味のフィン・ウゴル語派のtiortであるとする説、あるいは「(要塞が)堅固」という意味のтвердь(tverd')によるとする説がある。また、1135年もしくは1139年のノヴゴロド公フセヴォロドの勅令中に遠まわしに言及されているとみなす説がある。 オショートル:1146年 トゥーラ:1146年 モスクワ:1147年 ヴォログダ:1147年 テシロフ(ru):『ニコン年代記』1147年 ウグリチ:1147年 ズヴェニゴロド:1152年、ロストフ・スーズダリ公ユーリー建設 ペレヤスラヴリ=ザレスキー:1152年、ロストフ・スーズダリ公ユーリー建設 ユーリエフ=ポリスキー:1152年、ロストフ・スーズダリ公ユーリー建設 ゴロデツ:1152年、ロストフ・スーズダリ公ユーリー建設 ペレムィシュリ(ru):1152年、ロストフ・スーズダリ公ユーリー建設 スタロドゥーブ=ナ=クリャージメ:1152年、ロストフ・スーズダリ公ユーリー建設 ドミトロフ(年代記上は1180年):伝承では、上記の諸都市と同じく1152年ロストフ・スーズダリ公ユーリー建設。 コストロマ(年代記上は1214年):1152年ロストフ・スーズダリ公ユーリー建設とする説があるが史料上の証拠はない。 ロスチスラヴリ(ru):1153年、ムーロム公ロスチスラフ建設 ベルゴロド=リャザンスキー(ru):『ニコン年代記』1155年 ボゴリュボヴォ:1158年、ウラジーミル大公アンドレイ建設 ゴロホヴェツ:1158年、ウラジーミル大公アンドレイ建設 ガーリチ・メリスキー:一般には1159年建設とされる。メリスキーはフィン・ウゴル民族のメリャ族の名に因る。 コロムナ:1177年 ウスチュグ:1207年 ニジュニー・ノヴゴロド:1221年ウラジーミル大公ユーリー建設
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