労働・兵役
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 23:08 UTC 版)
朝鮮人は住所に関わりなく1945年まで兵役は免除されていたが、朝鮮人にも志願兵の募集が行われ、軍人・軍属として戦地に赴いた者も存在した。当時陸軍を中心に、アジア・太平洋戦争における日本民族の人的消耗を避けるため外地民人の人的資源の活用は避けられないとする意見が広まっており、朝鮮における徴兵制はその帰結であった。終戦前には徴兵制が施行され朝鮮人が入営し訓練が行われたが、終戦により戦闘には投入されなかった。 国家総動員法は在日朝鮮人も対象となったが、労働力不足は解消されず、石炭、土木、金属鉱業の企業では朝鮮半島からの労働者を募集した。しかし劣悪な労働環境や条件の情報が広まると募集に応じる人数は減り、企画院は強制的に朝鮮半島から労働者を連行する労務動員計画を開始して、在日朝鮮人には国民徴用令、朝鮮半島では一般徴用令を適用した。これらの日本統治時代の朝鮮人徴用は朝鮮人の反発を招き、警保局の資料によると1944年から紛争が急増して毎日約1件の争議が発生した。また、入国管理局の資料によれば、1939年-1945年までに22万人以上が逃亡した。密航 で内地に向かった労働者や、慰安婦として働く女性も存在した。
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