前史・軍と遊郭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 21:14 UTC 版)
日本には、1930年代に戦地に登場する「慰安所」とは異なるが、実態としてはそれに近いものが、それ以前から存在していた。 西洋式に近代化した日本では、西洋型の公娼制度を取り入れつつ、陸軍の衛戍地や海軍の軍港の近くに遊郭が作られ、日清、日露戦争を通じ両者は不可分な存在となって行った。軍隊を誘致すればインフラや地域経済の活性化が期待できたので、日本各地で師団や歩兵連隊の誘致合戦が繰り広げられ、同時に、商機や税収を狙い、軍隊を当て込んだ公娼設置運動が展開された。 こうした遊郭は、軍隊ではなく、地方自治体と警察の監督下にあった(「娼妓取締規則」)。 日本統治下の朝鮮や台湾にも公娼制度が導入され、港湾や日本軍の駐屯地の近くに遊郭が新設され、需要を当て込んだ売春業者や売春婦が、内地から朝鮮半島へ渡って行った。当初こうした遊郭で働く女性の多くは日本人だったが、やがて朝鮮人女性の数も増加した:1-27。こうした遊郭や娼婦は、厳密には「慰安所」や「慰安婦」とは別物だが、軍都として建設された都市(龍山、鎮海など)の遊郭は、慰安所的な性格を帯びていたと語る研究者もいる。これらの遊郭の一部は、第二次大戦後、米軍の「基地村」となった:103。 戦時中は、こうした国内(朝鮮半島・台湾を含む)の遊郭の関係者が、慰安所の経営者などとして戦地へ赴いた。国内の売春宿が、戦地に支店(慰安所)を出すケースもあった。
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