切通しの評価と調査
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/06 08:07 UTC 版)
2004年の崩落防止工事中の第一切通し最狭隘部。右手の道は、崩落防止工事による通行止めに伴い新設された迂回路。2004年11月9日撮影。 名越切通し(第一切通し最狭隘部)を北側(鎌倉側)から望む。2008年8月3日撮影。上写真とほぼ同じ場所、同じ撮影方向。 第一切通し最狭窄部の内部。2021年2月16日。 名越切通は直接近代の道路として整備されず、狭隘な山道として残されてきたうえ、切通し道に隣接した平場や切岸が目立つため、鎌倉七口のなかでも特に中世の旧鎌倉の防衛遺構の一部としての切通しの姿をよく保っていると言われてきた。 しかし、2000年(平成12年)に第一切通し部分で通路を横断する形で行われたトレンチ調査の結果、現在の路面のおよそ60センチメートル下までに4度の道路補修跡が確認された。最下の60センチメートル下の路面上から18世紀後半以降の焼物片が発見され、少なくとも江戸時代半ば以降、現在より低い位置を通る道が、崖面からの瓦礫等で埋まりかさ上げされてきたことが判明した。 また、第一切通のもっとも狭まった部分は道幅が約90センチメートルしかなく、しかも崖面が斜めになっているために人一人がやっと通れる程度で、切通しの防衛的性格の表れであると評されることも多いが、これも2004年(平成16年)度の崩落防止工事に伴う調査で、かつては270センチメートル以上あった道幅が岩塊の崩落で狭まった結果であることが確認されている。 一方で2009年(平成21年)度には、現在の第一切通より逗子寄りにある、現在の切通し道より約5メートル高い平場で15世紀以前のものと考えられる細い掘割り道の遺構が発見されており、こちらが中世の名越切通の本道であった可能性も指摘されている。 また、第一切通の現路面から約8メートル上の崖面に崩れかけたやぐらが発見されており、これも当初の路面がかなり高い位置を通っていた傍証とされる。 鎌倉を囲む山の岩盤は柔らかく掘りやすいため、段階的に切通し(掘割り)を深めて道の傾斜を緩めたり、一方で自然災害による崩落で道が埋まってかさ上げされたりといったことがしばしばあった可能性は大きく、名越切通も、実際には作られた当初の姿からはだいぶ変化を遂げているものと考えられる。
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