分子の世界の探索
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 03:09 UTC 版)
「分子生物学の歴史」の記事における「分子の世界の探索」の解説
生物学の歴史の文脈で「分子革命」の評価を行うとき、それが顕微鏡による最初の観察から始まる長い過程の蓄積であることを指摘するのは容易である。初期の研究者たちの目的は、顕微鏡レベルで生体の構造を記述し、その機能を理解することであった。18世紀末以降、生命体を構成する化学物質の特定がますます大きな関心を集めるようになり、19世紀にはドイツの化学者ユストゥス・フォン・リービッヒによって生理化学 (physiological chemistry) が誕生し、続く20世紀初頭には、これまたドイツの化学者エドゥアルト・ブフナーの貢献により生化学が誕生した。化学者の研究対象である分子と光学顕微鏡下で観察される細胞核や染色体などの微細構造の間には、化学者・物理学者 Wolfgang Ostwald が「無視された次元の世界」(the world of the ignored dimensions) と呼んだ不明瞭な領域が存在した。この「世界」はコロイドによって占められており、その化学物質の構造や機能は明確には理解されていなかった。 分子生物学の成功は、化学者や物理学者によって開発された新技術を利用して未知の世界を探索することで得られたものであった。それらの技術にはX線回折、電子顕微鏡、超遠心、電気泳動がなどが含まれる。これらを用いた研究によって高分子の構造や機能が明らかにされていった。 この過程における記念碑的な業績の1つは、1949年ライナス・ポーリングによるもので、初めて鎌状赤血球症患者の特定の遺伝的変異が、個々のタンパク質、すなわち赤血球中のヘモグロビンの変化と関連づけられた。
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