出生:川上音二郎の姪とは? わかりやすく解説

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出生:川上音二郎の姪

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 08:29 UTC 版)

青木鶴子」の記事における「出生:川上音二郎の姪」の解説

1889年11月24日鶴子福岡県福岡市現在の博多区内)に、印判店を営む父の小原伊勢吉と母のタカの娘として生まれた出生名小原ツル鶴子2人姉妹で、1893年に妹のスミ生まれたタカの兄はオッペケペー節一世を風靡した俳優川上音二郎である。両親鶴子幼児期別れており、鶴子は母に連れられて上京し4歳頃に音二郎貞奴夫妻養女となった。それにより本名川上ツルとなったが、その後戸籍上で実父の姓の小原のままだったという。後年鶴子は「伯母貞奴)はいつも私に不親切だった」と述べている。 1899年、音二郎貞奴一座こしらえてアメリカ巡業をすることになったが、一座にはどうしても子役必要だったため、9歳鶴子は音二郎夫妻から厳し演技訓練受けて一座加わった一座4月30日横浜港出航し5月21日にはサンフランシスコ到着しその4日後から現地劇場公演始めた鶴子演目のひとつ『楠正成』の「桜井駅訣別の場」で、音二郎演じ楠木正成の子正行演じて初舞台飾り新聞評では「正行扮して必死の力を振るいたり」と演技評価された。 しかし、公演失敗し関係者売上金持ち逃げされてしまったこともあり、一座困窮状態に陥った。さらにアメリカ小児保護法では、子役でも学校通わせなければならず、夜間興行舞台出演させることは禁じられていた。実際に小学校にも通えずみすぼらしい格好路頭に迷っていたという鶴子の姿は、アメリカ人の目に児童虐待映ったこうした理由で、音二郎これ以上子供鶴子連れて巡業続けるのが重荷となり、辛い目をさせるのも可哀相だったため、よりよい環境で育つように願って8月鶴子サンフランシスコ在住日本人画家青木年雄の許へ養女にやった。鶴子手放した一座サンフランシスコを後にしてアメリカ都市回り1900年にはヨーロッパへ向かった

※この「出生:川上音二郎の姪」の解説は、「青木鶴子」の解説の一部です。
「出生:川上音二郎の姪」を含む「青木鶴子」の記事については、「青木鶴子」の概要を参照ください。

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