出版者として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/27 16:57 UTC 版)
「ウィリアム・キャクストン」の記事における「出版者として」の解説
遅くとも1450年までにブルッヘに旅行し、1453年までにはそこで住みはじめている。その時点で Mercers' Company での年季奉公から解放されたとみられる。ブルッヘで商売に成功し、Company of Merchant Adventurers of London というギルドの親方になった。ブロードなどの輸出を手がけるギルドであり、ブルゴーニュ公国との貿易を行ったことからブルゴーニュ公夫人マーガレットの庇護を受けるようになった。彼女はブルゴーニュ公シャルルの3番目の妻で、イングランドの2人の王エドワード4世とリチャード3世の妹でもある。そのおかげでさらに大陸内部にまで商売の範囲が広がり、ケルンまで行くことになった。そこで勃興期の印刷業界を目にし、ドイツの印刷技術に強い衝撃を受けた(グーテンベルクが活版印刷技術を発明したのは1445年ごろのことである)。そこですぐさまブルッヘで印刷業を始め、フランドル人のコラード・マンション(英語版)の協力を得て1473年、英語で書かれた本を初めて印刷した。それがキャクストン自身が翻訳した『トロイ史集成』(Recuyell of the Historyes of Troye) である。彼の翻訳はブルゴーニュ宮廷で人気となり、誰もがその本を欲しがったため、キャクストンは本格的に印刷会社を設立することを考え始めた。その知識をイングランドに持ち帰ると、1476年にウェストミンスターで印刷会社を設立。最初に印刷した本はチョーサーの『カンタベリー物語』である。他の初期に出版した本としては『哲学者名言集』(Dictes or Sayengis of the Philosophres)があり、1477年11月18日に出版された。これはエドワード4世の義弟であるリヴァーズ伯アンソニー・ウッドヴィルが翻訳したものである。1483年にはキャクストンが翻訳した『レゲンダ・アウレア』、1484年には The Book of the Knight in the Tower を出版しており、これらには初めて英語で活字で印刷されたと見られる聖書の一節が含まれている。 キャクストンは、騎士道物語(フィエラブラなど)、古典、イングランドやローマの歴史書などを出版した。それらの本は15世紀後半のイングランド上流階級の人々に受け入れられた。キャクストンはそれら上流階級の人々の支援を受けたが、それに依存したわけではない。
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