編集者・出版者として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 01:55 UTC 版)
「ドナルド・A・ウォルハイム」の記事における「編集者・出版者として」の解説
彼は1952年にエイヴォン・ブックス(Avon Books)を辞めてA・A・ウィン(A. A. Wyn)のエース・ブックスに移り、1953年にはエース・ブックスからSFを刊行する手はずを整えた。エース・ブックスは裏表どちらからでも読める「エース・ダブル」シリーズによって知られていた。ウォルハイムは「エース・ダブル」の書式に合わせるために原稿を改竄したり、題名を変えたりした。題名変更の例としてポール・アンダースンの"War of th Wing-Men"(エース版)と"The Man Who Counts"(復刊)が挙げられる。 1965年にウォルハイムはJ・R・R・トールキンの『指輪物語』をエースから無許可で出版した。トールキンの叙事的物語が一般向けのペイパーバックとして市場に出たのはこれが初めてであった。ウォルハイムがそうした理由は、彼がホートン・ミフリン社のハードカバーの版が、著作権を正式に宣言できていないと判断したからであった。2006年のインタヴューでウォルハイムの娘は語ったところによると、トールキンは「自分の大作はペイパーバックの『ダイジェスト』版で刊行されるべきではない」とウォルハイムを怒っていたという。1993年、裁判所はエース・ブックスの主張する「著作権の抜け穴」が正しくなく、彼らのペイパーバック版が合衆国法の下でトールキンの著作権を侵害するものであるとの判決を下した。 ウォルハイムはエース・ブックスを離れて1971年にDAWブックス(DAW Books)社を建てた。DAWは彼の頭文字である。この会社はSFおよびファンタジー小説を専門にした最初の商業出版社だと言われている。 彼はまた、有名な「年刊ベストSF」アンソロジーを1965年から1990年まで刊行した。ただし1965年から71年まではテリー・カーとの共同編集、71年から90年の期間はアーサー・W・サハ(Arther W. Saha)との共同編集である。
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