凩の果はありけり海の音
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評 言 |
俳句を始めた頃のこと、季節のインデックスといわれた歳時記に興味がわき、秀句と教えられた句に出会うと、メモしたものだ。そのとき出会ったのが表記の句である。 皆さんは「凩の言水」との異名を持ったこの俳人のことを覚えておられるだろうか。 芭蕉と同時代の人で、名は池西言水、号を紫藤軒と号した。奈良に生まれ、松江重頼の門人となったが、談林風から芭蕉に近づき、ともに流行の都市風俳諧に熱中した。その彼の代表作ともてはやされたのが元禄3年作といわれる「凩の果はありけり海の音」で、この一作で世に「凩の言水」と囃された。 句を作るならせめて死ぬまでにただの一句でよいから納得のゆく句いい句をとは誰しも思うことだが、この凩の句こそその賞賛に恥じない句ではないだろうか。言水はその後、京都に定住し晩年は雑俳点者として活躍したが、1722年死去した。 私がこの言水の墓を偶然発見したのは彼の没後280年くらい後のことになる。処はかって京都随一の繁華街として知られた新京極のど真ん中である。ここは昔豊臣秀吉によって整備され、今も寺町通りという道より一筋東で、今も密集する修学旅行生相手の土産物店に囲まれた誠心院という寺の墓地にある。実はこの寺には今も平安朝の女流歌人和泉式部の墓と伝えられる大きな宝篋院塔が雑踏に面して立ち、言水のかなり風化した墓石は、何度目かの改修の犠牲となって、今はその式部の塔に並んで、いわば従者のような位置にある。20年ほど前に偶然発見したときより場所が違うので面食らった。 しかし初学の私がはまり込んだのはまさにこの句であった。「凩の果はありけり海の音」なんと壮大な句ではないか。詠むならこんな句を・・・という思いがその後の私を支配したが、未だにそれらしい句は出ない。その後いくつかの木枯しの句を歳時記で発見した。琴線にふれたのは芥川龍之介の句「木がらしや目刺に残る海のいろ」であり、それに山口誓子の「海に出て木枯帰るところなし」が続く。龍之介の視点のしゃれた味もいいが、言水の句に近い誓子の句の海の音を突き抜けた大胆さも好きだ。「凩の言水」の墓は隣の和泉式部に比べてかなり寂しい。ひょっとしたら無縁墓かもしれない。しかし凩の一句で今も著名な言水にはこのいぶせき様がむしろふさわしいようにも思った。やはり我らの言水ではないか。次の機会には花など手向けたい心境ではある。 (写真左は京都新京極誠心院「凩の言水の墓」。 上部に凩の句が刻まれている。筆者写す。) |
評 者 |
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備 考 |
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