内郭防衛線への攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 04:51 UTC 版)
「フォークランド紛争」の記事における「内郭防衛線への攻撃」の解説
6月13日より、イギリス軍はスタンリーの内郭防衛線への攻撃を開始した。これに先立って、12日夜には「アクティブ」と「アロー」が186発を、そして13日23時には「アヴェンジャー」、「ヤーマス」、「アクティブ」、「アムバスケード」が4時間に渡って856発を撃ち込んだ。また砲兵隊も合計で7,120発を射撃した。しかし艦砲も砲兵も残弾不足に悩んでおり、艦砲はこの規模の砲撃をもう1回行う程度で、砲兵隊もあと2日分の弾薬しか残っていなかった。 まずスコットランド近衛大隊がタンブルダウン山を攻撃した。同山は内郭防衛線で最も高い場所であり、アルゼンチン海兵隊第5歩兵大隊(大隊長カルロス・ロバシオー中佐)が守備していた。この大隊は比較的経験を積んだ兵士によって編成されていた上に平時の駐屯地が南アメリカ最南端のフエゴ島であり、耐寒性を考慮した装備を保有していた。また4月上旬からフォークランド諸島に派遣されていたため、陣地もよく準備されたものであった。スコットランド近衛大隊は、まず17時より、新たに揚陸したスコーピオン軽戦車を加えて陽動攻撃を行ったのち、21時より主攻を開始した。イギリス側の期待に反してアルゼンチン軍は頑強に抵抗し、攻撃はなかなか進捗しなかったが、3時頃よりイギリス軍が戦闘を調整し直して野砲射撃と近接戦闘を連携させるようになると、陣地は徐々に突破されていった。8時には同山での戦闘は終了し、イギリス側は死者8名・負傷者35名であったのに対し、アルゼンチン側は死者20名以上・負傷者多数であった。 その南方のウィリアム山は、当初計画ではスコットランド近衛大隊がタンブルダウン山を占領した後にグルカ小銃大隊によって攻略する予定であったが、タンブルダウン山攻略が意外に難航したことから、グルカ小銃大隊は、これを待たずに2時35分より前進を開始することになった。タンブルダウン山の陥落とともにウィリアム山のアルゼンチン軍も後退したため、実質的な反撃はほとんどなかったが、砲撃・地雷・また友軍の誤射もあり、グルカ小銃大隊による占領は13時5分となった。 ロングドン山東方のワイヤレス・リッジの攻撃を担当したのは第2空挺大隊であった。同大隊はグース・グリーンでの苦戦の戦訓を踏まえて、攻撃に先立ち砲兵隊・フリゲート「アンバスケード」・第2及び第3空挺大隊の迫撃砲・機関銃小隊及び配属された軽戦車によって大規模な準備砲撃を行った後に前進することにした。この結果アルゼンチン軍の反撃はほとんど無く、次々に陣地を放棄して後退していった。アルゼンチン砲兵が放棄した陣地に対して正確な射撃を加えてきたために若干の損害が出たが、これも艦砲射撃で砲兵陣地を撃破することで解決した。最終的に、第2空挺大隊は2名の戦死者を出しただけでワイヤレス・リッジの占領を達成した。
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