内部の軋轢、『ガロ』休刊へ
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「青林堂」の記事における「内部の軋轢、『ガロ』休刊へ」の解説
順風満帆に見えた『ガロ』であったが、親会社のツァイトがPCソフトのプラットフォームがMS-DOSからWindowsへと変わる時代の変化に乗り遅れ、経営が悪化。1996年には青林堂創業者で初代編集長であった長井勝一が死去する。 その後、山中は来るべきインターネット時代を先取りし、1997年当時としては画期的であったインターネットとコミックの融合雑誌『デジタルガロ』(編集長・白取千夏雄)刊行に着手する。だが編集部内では、インターネットを『ガロ』にはそぐわないものとする守旧派と白取ら推進派が対立し、その結果白取は『ガロ』副編集長のままツァイトへ移籍して『デジタルガロ』の編集にあたるという、変則的な事態を迎えることとなった。 この先見的な試みは、山中社長が強引に搬入部数を10万部まで増やしたため結果的に失敗(最終的な実売は15000 - 18000部)に終わり、大赤字を出すこととなった。この『デジタルガロ』失敗に加えて、社長交代話を巡って経営陣と編集部が対立し、手塚能理子を筆頭とする編集陣が事前連絡も無いまま保管してあった作家の原稿を持ち去り、1997年7月7日付をもって一斉に集団退社するという内紛騒動が発生する。これがきっかけとなりツァイトは倒産し、『ガロ』は休刊に追い込まれた。後に退社組は青林堂の後継と称して新出版社「青林工藝舎」を興す。 社員を失った青林堂は体制を立て直すため新社員を募集。福井源が経営を引き継ぎ、白取千夏雄の仲介で編集長に長戸雅之を招く。1998年1月より青林堂は『ガロ』を復刊させるが、同年9月には再び休刊した[要出典]。 『ガロ』2度目の休刊後、ねこぢるのグッズを販売していた大和堂の蟹江幹彦が1999年より青林堂の経営を引き継ぎ、休刊していた『ガロ』を2000年1月より復刊させるが、採算が見込めず2001年半ばより隔月刊となり、2002年半ばから季刊誌へと移行。そして2002年10月号を最後に休刊する。
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