内部の軋轢、『ガロ』休刊へとは? わかりやすく解説

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内部の軋轢、『ガロ』休刊へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 15:33 UTC 版)

青林堂」の記事における「内部の軋轢、『ガロ』休刊へ」の解説

順風満帆見えたガロであったが、親会社ツァイトPCソフトプラットフォームMS-DOSからWindowsへと変わる時代の変化乗り遅れ経営悪化1996年には青林堂創業者初代編集長であった長井勝一死去するその後山中来るべきインターネット時代先取りし1997年当時としては画期的であったインターネットコミック融合雑誌デジタルガロ』(編集長白取千夏雄刊行着手する。だが編集部内では、インターネットを『ガロ』にはそぐわないものとする守旧派と白取ら推進派が対立しその結果白取は『ガロ副編集長のままツァイト移籍してデジタルガロ』の編集にあたるという、変則的な事態迎えることとなったこの先見的な試みは、山中社長強引に搬入部数10万部まで増やしたため結果的に失敗最終的な実売は15000 - 18000部)に終わり、大赤字を出すこととなった。この『デジタルガロ失敗加えて社長交代話を巡って経営陣編集部対立し手塚能理子筆頭とする編集陣が事前連絡も無いまま保管してあった作家原稿持ち去り1997年7月7日をもって一斉に集団退社するという内紛騒動発生する。これがきっかけとなりツァイト倒産し、『ガロ』は休刊追い込まれた。後に退社組は青林堂後継称して新出版社「青林工藝舎」を興す社員失った青林堂体制立て直すため新社員募集福井源経営引き継ぎ白取千夏雄仲介編集長長戸雅之を招く。1998年1月より青林堂は『ガロ』を復刊させるが、同年9月には再び休刊した[要出典]。 『ガロ2度目休刊後ねこぢるグッズ販売していた大和堂蟹江幹彦1999年より青林堂経営引き継ぎ休刊していた『ガロ』を2000年1月より復刊させるが、採算見込め2001年半ばより隔月刊となり、2002年半ばから季刊誌へと移行。そして2002年10月号を最後に休刊する。

※この「内部の軋轢、『ガロ』休刊へ」の解説は、「青林堂」の解説の一部です。
「内部の軋轢、『ガロ』休刊へ」を含む「青林堂」の記事については、「青林堂」の概要を参照ください。

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