公安委員就任以降の活動
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2002年に長野県知事であった田中康夫の要請を受けて、長野県警を監督する長野県公安委員会委員を1期(3年)務めた。 飯田市大王路の無職の女性(当時77歳)が2004年4月に殺害された事件(長野・愛知4連続強盗殺人事件)で、その長女が「犯人扱いされた」と訴えていた問題で、私人として長女宅を訪れ、長女らと約2時間半にわたって非公開で面談した。 飯田警察署で、長女に対して推定有罪と判断して、ポリグラフ(うそ発見器)をかけられたことや、誘導尋問などで強要された自白、深夜まで事情聴取を受けたことなどについて説明する長女に対し、松本サリン事件で一時被疑者扱いを受けた自身の体験を話した。面談後、「直接の謝罪は必要。市民にとって大きな負担となる捜査方法は改善すべき」として、県公安委員会で警察側に陳謝の要望があったことを報告すると約束。任意の事情聴取を何時間以内にとどめるべきかなど捜査の指針作成を提案する意向を示した。事情聴取のポリグラフについて、「一般市民には非日常的なことだが、警察にすれば日常的。そのギャップは大きい」と指摘した上で、「今後は県警が配慮してギャップを埋めていく必要がある」とした。この件に対し、長女は「話を聞いてもらって楽になった。」と話している。 その後、生坂ダム殺人事件の長野県警の捜査ミス糾弾(他殺死体を自殺事件と断定したが、公訴時効成立後に覚せい剤所持等の別件で逮捕された犯人の任意の自白により殺人事件と判明)において、田中知事と対立し公安委員を更迭された(田中知事は犯罪報道被害者で冤罪被害者にもなりかねなかった河野が長野県警糾弾の先鋒になることを期待したが、河野は「当時の捜査において他殺と断定できなかった事はやむを得なかった」との判断をしている)。 妻はサリンによる被害により意識不明状態から回復せず河野が介護していたが、2008年8月5日に60歳で死去した。その死に際して、「長い間頑張ってくれて、ありがとう。今日は彼女が自由になる日。わが家にとって、事件が終わる日になると思う」とコメントを出した。 報道被害に関する講演で全国各地を訪れていたなか、2010年8月、妻の三回忌を区切りに鹿児島市へ転居し、2014年7月には霧島市に移住した。
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