全共闘の結成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 23:35 UTC 版)
巨大な日大では、各学部が散らばって学生を分断していたが、大学の不祥事に対して最初に声を上げたのは世田谷区の文理学部と神田三崎町の経済学部の日大生たちであった。 4月23日、文理学部学生会執行部が教授会に対して公開質問状を出した。しかし、返答は「教授会は経理に直接の権能を有しないので具体的にのべられない」とにべもないものであり、その後有志学生らが討論資料やビラを作成して全学生の団結と行動を呼びかけた。 秋田明大を委員長とする経済学部学生会は、5月18日に使途不明金問題についての学生委員会の開催を教授会に請願したが、ここでも学部として声明を出すまでの間は不許可とされた。これを受けて秋田らは無届での活動を始め、5月21日から数百人を集めて経済学部本館地下ホールで抗議集会を開いた。5月23日、大学当局は本館入り口で他学部生を排除したり、学生会執行部と指導委員長の話し合いと引き換えに無届け集会を即時解散させようとしたが、学生側はこれを拒否し、秋田は通告文を焼き捨てた。その後、退出しようとする学生らを体育会系学生が妨害し、大学職員がシャッターを下ろして閉じ込めようとした。怒った学生たちはデモを始め、経済学部に隣接する法学部にも波及した。5月25日、経済学部は「学部の秩序を乱した」として秋田ら16人を自宅謹慎処分とした。 同日、経済学部の処分に抗議する集会が右翼学生の暴行を受けながらも3学部で開始され、経済学部で行われた抗議集会に法・文の学生が合流し、3000人規模の大集団となった。5月24日には、教職員組合も「全理事退陣要求書」を提出した。 多くが大学当局の御用団体となっている大学公認の学生会や自治会に代わる、全学共闘会議を求める機運が広がり、5月27日にはこれまでの経・法・文のほか、芸・商・理・農・歯などの各学部有志が経済学部校舎前での抗議集会に参加し、秋田を議長とする日本大学全学共闘会議(日大全共闘)を結成。当面の要求は、 古田会頭以下全理事退陣 経理全面公開 使途不明金に関し大学と学生の話し合い とされた。翌5月28日から30日にかけ、無届集会と闘争委員会設立が各学部で行われた。
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